記事(一部抜粋):2012年4月掲載

連 載

【政治の読み方】武田 文彦

維新の会マニフェストで「究極的民主主義」実現を

(前略)
 橋下市長の船中八策は、民主党や自由民主党など既存政党に対する挑戦である以上に、実は議会制民主主義という制度、さらにいえば現在の政治そのものに対する挑戦である。
 議会制民主主義は、主権者である国民が直接政治に関わるのではなく、主権者が選挙で選んだ「代表」と、選抜された官僚が政治を直接決定するという制度である。
 しかし数百の代表が国民の意思を体して政治をおこなうなど、論理仮説としてはありえても、現実には不可能である。例えば人口17万人あたり一人いる衆議院議員が、17万人全員の主権者を満足させることなどありえない。しかし「ありえない」と認めてしまえば民主主義はその瞬間に消滅してしまうので、やむを得ず「民意を代弁しうる」という仮説を前提にして、議会制民主主義を正当化しているのだ。
 当然、代表と国民の間には意思の疎通を欠く場面が頻発する。小さくて軽い政治課題ならいいが、そうでない場合、政治は不安定化し、大きな成果をあげることはできない。
 それだけではない。議会制民主主義には、国民と代表の利害が直接対立する、日本国憲法が想定していなかった「制度の副作用」とでもいうべき問題がある。
 例えば、日本国憲法43条では、議員の定数は「法律」で決めるとしている。法律で決めるということは、国会議員、しかも与党の意思によって決めるということである。つまり、国民の大多数が議員定数の削減を望んでも、「代表」たちが「失職するのは嫌だからそんな法律はつくらない」ということになれば、民意は通らないということだ。
「1票の格差」も同じ。憲法47条で、選挙に関する事項は法律で決めるとなっているので、国民がいくら格差是正を迫っても、代表が嫌だといえば、それまでなのである。
 国民が直接決定できるなら、定数削減や格差是正ほど容易な政治課題はない。算数の問題なのだから即決だろう。しかし、これを代表が決めるとなると、後回しになってスパッと決まることはない。まして、参議院の廃止や首相公選制など、現体制下では100年、いや1000年かかっても実現できないだろう。
 このように政治を統制する日本国憲法には、「法律によって決定する」という条文が全103条のうち40以上もあって、与党議員の思うままに政治を決定できるようになっている。政治が国民のものではなく国会議員のものだと言われる所以である。
 民主主義であるにもかかわらず、国民は自らの意思で政治を決定する実感を味わうことができない。橋下市長の船中八策は、議会制民主主義を越えた新しい民主主義の提案、換言すれば革命の提案だったのだ。(後略)

 

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