「日本語ワープロの父」と呼ばれる人物がいる。東京理科大学の森健一教授である。
プロフィールをざっと紹介すると、森氏は東大工学部を卒業後、「東京芝浦電気」(現東芝)に入社し、同社の中央研究所(後の東芝総合研究所)で文字認識の研究に従事。1967年、郵政省(現総務省)に委託された「自動手書き郵便番号読み取り装置」の開発に成功し、その後は日本語ワープロの研究に着手。1978年、かな漢字変換方式を搭載した日本初のワードプロセッサ「JW—10」の商品化に成功した。その後、東芝の情報システム研究所長、取締役パーソナル情報機器事業本部長、常務取締役を歴任し、99年に「テック」(現・東芝テック)社長に就任。同社相談役を経て04年、東京理科大学教授に就任した——。
研究者・経営者として錚々たる実績と経歴の持ち主であることがよくわかるが、森氏の、その数ある実績のなかでも燦然と輝いているのが、いうまでもなく日本初のワープロ「JW—10」の商品化である。
森氏のチームが開発した「かな漢字変換方式」は、現在に至るまですべての日本語ワープロに活用されているものである。この「成果」によって森氏は06年、文化功労者として顕彰されている。ちなみに9月26日は「ワープロの日」というそうだが、それは「JW—10」の発売日にちなんでいるという。
ところが、この「ワープロの父」の業績を否定するかのような判決が、2011年春、東京地裁によって言い渡された事実は、ほとんど知られていない。判決は、JW—10を開発するうえで重要な特許を開発したのは、森氏ではなく、森氏が率いた開発チームの別のメンバーであると認定したのである。
問題の裁判は、07年に起こされた「報酬金請求事件」。原告は、天野真家・湘南工科大学教授で、被告は東芝である。
天野氏は、京都大学大学院工学研究科を修了後、東芝に入社、森氏とともに日本語ワープロの研究・開発に携わった。つまり、森氏とは同じ釜の飯を食った仲間同士ということになる。
天野氏が、かつて在籍した東芝を相手取り報酬金を請求する裁判を起こしたのは、JW—10にかかわる重要な特許2つが、元をただせば自分が開発したものであるにもかかわらず、東芝がしかるべき報酬金を支払っていない、という理由からである。
この主張や、提訴時期(森氏が文化功労者に選ばれた直後)からもわかるように、天野氏の提訴は、森氏がワープロの父として栄誉を独り占めにしていることへの異議申し立てでもあった。(後略)