記事(一部抜粋):2011年11月掲載

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【流言流行への一撃】西部 邁

一国独立して一身独立す

 福澤諭吉が「一身独立して一国独立す」といったのは、独立心を有した国民一人ひとりの自発的な気概が寄り集まって、他国に依存することの少ない自立した国家を作り出すことができる、といわんがためである。しかし、その自主自立の気概はどこから出てくるのか。一国が独立していなければ、そこで生を享け死を迎える人々の生き方も死に方も、消極・受動の構えから脱け出すことができない。人々の感情も論理もみずからの所属する国家の歴史的経緯に依存せざるをえないからだ。したがって、一国を独立に導く役割を担う者としての政治家の責任は、国民の独立心を涵養するという点において、まことに大きいといわなければならない。
 竹島は韓国に、そして千島はロシアに、それぞれ実効支配されている。そうなったのは、我が国がエフェクティヴ・コントロール(実効支配)の意義を把握していなかったからだ。つまり国際法にあっては、状況の進展につれて解釈が様々に変えられる。その意味で国際社会のルールは不安定である。その「ルールにおける不安定性」を落ち着かせるには「パワーによる安定化」がほどこされなければならない。そのことを「平和主義の戦後日本」は理解してこなかった。で、戦争を仕掛けるということでもしなければ取り戻せない、という状態に竹島も千島も陥ったのである。尖閣とて、いつなんどき、中国のパワーによって実効支配されないともかぎらない。
 ロシアは、野田政権の外交姿勢を試すかのように、日本列島の周辺に爆撃機を飛ばした。アメリカも菅(前)政権が米軍沖縄基地問題で失態を演じたことのツケを払えといわんばかりに、「TPP(環太平洋関税撤廃協定)を飲め」「沖縄県民を日本の責任で説得せよ」と圧力をかけ、野田新首相は素直にその要求に応じたようである。
 ここ十年ばかり、日本外交の消極・受動ぶりをこうまでみせつけられると、我が国はもはや独立国ではないのだと思わずにはおれない。周辺諸国は、いわば「眠れる兎」が「死せる兎」となったときの分け前を求めて、虎視眈々と日本列島を狙っているのではないか。
 それはけっして杞憂ではない。「デフレと円高」が出口なしの形で進行するにつれ、日本は産業のみならず文化にあっても、空洞化をみせつけて止むことがないからだ。
 この空洞化を死力を尽くしてでも阻止しようという構えが、列島のどこを探しても見当たらない。いや、そういう焦燥や情熱を抱いた人々があちこちに点在してはいるのであろう。しかし、それらを国民の気風にまで結集させる政治力というものがない。諭吉によれば「文明」とは「国民の気風」のことだから、日本列島は(国民の気概喪失をみれば)文明の衰退期に入った、という運命論を是非もなく持ち出したくなる。そうした国民活力を結集するための政治力が最も弱い政党つまり民主党を、国民が歓呼の声で政権の座に迎え入れたのである。そこのことを考えると、ここが念仏の挙げどきかな、とすら感じられる。
 独立とはイン・ディペンデンス(非依存)のことだ。戦勝国アメリカに依存するのを習わしとして恥じるところがない、という生き方を日本国民はすでに66年に及んでやりつづけている。「外国人の地方参政権」のことが華々しく論じられているが、アメリカが日本の中央政治に(実質的に)参加して片時も休むことがなかったことについて、日本列島人は今も異を唱えてはいない。この不甲斐ない気風が戦後日本人に骨がらみに染みついたのである。かつての日本共産党が「民族の自由を守れ、決起せよ祖国の労働者、栄えある革命の伝統を守れ」と歌っていたのが懐かしく思い出される、と冗談口を叩きたくなる。(後略)

 

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