6月7日、東京・西五反田の桐ヶ谷斎場で1人の男性が荼毘に付された。見守っていたのは、わずかにふたり。90歳になる老女と中年の男性。死亡からすでに24日が経過していた。
亡くなったのは小口智久氏という男性。享年77。火葬が済んだことで、小口氏が関わってきた過去の一切は、文字通り、何もかも葬られるはずだった。
しかし、それに秘かに「待った」をかけたのは警察だった。
「ある筋からとしかいえないが、火葬される1日前に、『病死』という診断に疑問が投げかけられた。それを受けて急遽、開いた(解剖した)が、決定的な事実は出なかった。出なかったが、解剖したことで『不審死』の扱いにはなった。今後、なんらかの状況証拠が出てくれば捜査を始めることができるだけの『含み』が残ったということだ」(警視庁関係者)
一口に不審死といっても、自殺、事故、他殺など、その範囲は広い。病死であれば、死者に関わる捜査は事実上できないが、不審死であれば、その後の状況次第では捜査本部が立ち上げられる可能性もある、ということらしい。最大の証拠である遺体は消滅したものの、解剖時のデータはもちろん残っている。その遺体解剖を火葬の直前におこなったというのは、確かに異例である。
実は亡くなった小口智久氏は、「昭和大学」(本部は東京・品川区旗の台)の現理事長、小口勝司氏の実兄にあたる。昭和大学といえば、1928年に昭和医学専門学校として設立された名門で医歯薬3学部に、看護・リハビリ系の合計4学部を有する我が国唯一の私大として知られている。
小口智久氏は、慶應義塾大学を出て、総合商社の日商岩井(現双日)に入社。同社では故・海部八郎氏(同社元副社長)の後を継いでトップに上り詰めるのでないかといわれるほどの辣腕だったらしいが、弟の勝司氏に請われて昭和大学の運営に関わるようになり、同社を退社したという。
「それは、勝司理事長のたっての頼みで、大学の運営をサポートする会社を経営してほしいという依頼でした」というのは、智久氏の右腕として長年にわたり支えてきたというN氏。氏によれば医科系大学の運営には、部外者には窺い知れぬ利権があり、どんな大学にも、その利権を差配する「専門業者」があるという。
「私は智久氏の番頭格として長年、その専門業者を切り盛りしてきました。一般論として言うと、大学に併設される大学病院には、さまざまな利権がある。国公立の大学にもあるが、やはり多いのは私学です。私学助成金をはじめとする資金がふんだんにありますから。その利権のすべては、大学の運営者である理事長の下に集約されるが、それを理事長ひとりが差配してしまうのは、最高学府としていかにもよろしくない。だから、信頼のおける人間を『専門業者』のトップに据える。昭和大学でいえば、智久氏が社長をしていた『伍鳳商事』がそれにあたります。私はその会社で智久氏をサポートしてきたのです」(N氏)
文部科学省が発表した私学助成金(補助金)のデータを見ると、1位は学生数日本一の日本大学だが、昭和大学はなんと8位にランキングされている。
「助成金を含め大学に入る資金はもちろん、大半が大学の運営に当てられるわけですが、なかには表に出ない、というか表に出せない資金の動きもある。その交通整理を担うのが専門業者です」(同)。
昭和大学理事長である勝司氏が、辣腕商社マンの兄・智久氏を招聘したのも、まさにその交通整理のためだったという。(後略)