記事(一部抜粋):2011年5月掲載

連 載

【平成考現学】小後遊二

津波プレイン

東日本大震災は未曾有の天災ではあったが、初めての経験ではない。1924四年の関東大震災では14万人が火災で命を落としている。政府は、1000年に1度の地震と津波、とすぐに言い訳を並べるが、歴史的に見れば19世紀まで日本は巨大津波に何回か襲われている。今回、チリ沖大震災の教訓が生かせなかったことを考えると、「発想」の転換が必要だ。  
 例えば、オーストラリアでは100年に1度であっても洪水被害を受ける土地は「FLOOD PLAIN(フラッド・プレイン、水没地区)」として明示しなくては売買できない。そういう場所をあえて買う人は、水没しても文句は言えず、政府に保証しろ、と迫ることもない。それでも近隣の相場価格の半値以下、となれば買う人はいる。
 要は、土地所有には一定のリスクがあり、所有者が相応の負担をするということだ。そうでなければ政府は災害復興などで無限のリスクを背負い込むことになり、結果として、国民負担に歯止めがかからなくなるという最悪の状況が生まれる。
 今回の災害は地震よりも津波の方がはるかに甚大であった。被災地では昔からの経験で津波の「限界標識」が建てられ、大半の津波被害ではその範囲内で収まってきた。しかし、今回の津波で限界標識は引き上げられた。破壊された地域はまさに津波プレイン内ということになる。津波プレインの指定を受けた土地の価値は大幅に下がることだろう。今度はリスク承知でそこに家を建てれば、万一災難にあった場合には公的支援は受けられない。しかし、土地を放棄し、公的な用途に使えるような形で提供すれば、政府が代替地と一定の住居を高台に造るといった、「災害構想プラン」が東北復興案には欠かせない。
 大前提は数カ月の間に「津波プレイン」の境界線を確定し、また代替住宅街の見取り図を示すことである。菅直人首相はこのような作業を自らやるべきで、復興会議のような烏合の衆に委ねるべきではない。首相に指導力があれば、その作業は数人いればできるはず。
 日本は世界でも屈指の天災列島である。「津波プレイン」という考え方が東北復興で確立されれば、それを全国に拡げて吟味・検証ができる。そうすれば新たな国づくりのモデルができるのだ。災害の度に繰り返される巨大な公的資金の流出、国債の発行や納税者の負担、あるいは被害者の泣き寝入りを防ぐ必要がある。
 例えば「火山」。少なくとも休火山の場合には過去の噴火履歴が数世紀にわたり残っているはずで、危険地帯を指定することは可能だろう。「河川」についても同様で、フラッド・プレインがはっきりしている。(後略)

 

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