記事(一部抜粋):2011年3月掲載

経 済

【企業研究】りそなHD

正念場の「細谷帝国」 三井住友の傘下に入るのか、独立路線の堅持か

(前略)
 いまや、細谷のりそなグループにおける権力は絶大である。その独裁体制は09年の役員人事で完成された。
「細谷会長の院政が完成したことを内外に高らかに宣言する人事でした」
 09年4月に発表されたグループの役員人事を、あるりそな関係者はいまいましげにそう振り返る。当の細谷も「銀行界のこれまでの常識からすると違和感のある体制」と自己評価している。それほど異例ずくめの人事だった。
 というのも、「りそな銀行」の社長に就いた岩田直樹、「埼玉りそな銀行」の上條正仁、「近畿大阪銀行」の桔梗芳人(再任)、グループの中核3行のトップの椅子を、旧協和銀行出身者が独占してしまったのだ。「合併行の常識では考えられない破壊的な人事」(他のメガバンク幹部)と、金融関係者が一様に目をむいたほどである。
 りそなグループは、旧大和銀行と旧あさひ銀行が合併して誕生したメガバンクである。その旧あさひ銀行の前身が、協和銀行と埼玉銀行であることから、りそなグループでは今も、旧大和、旧協和、旧埼玉の3つの大派閥が併存している。
 そのりそなに、実質国有化を機に乗り込んできたのが、JR東日本の副社長を務め、経済同友会の副幹事も歴任した大物財界人の細谷だった。
「鉄道屋に銀行の経営などできるはずがない」と陰口を叩かれながらも、細谷は「銀行の常識は世間の非常識だ」をキャッチフレーズに経営合理化を進めた。窓口営業時間は午後3時までというのが銀行界の常識だが、細谷はそれを5時まで延長。また窓口での待ち時間の短縮などにも取り組むなどの改善を重ね、グループの求心力を得ることに成功した。
 そのうえで断行したのが「旧3行のバランスを重視した旧来の人事をガラガラポンにすることだった」(りそな関係者)。
 細谷は、旧協和出身者を中核3行のトップに据えて旧体制のバランスを壊しただけでなく、年次のバランスも大胆に崩した。例えばりそな銀行では、1979年入行の社長の下に76年入行の副社長を置き、埼玉りそな銀行では、会長、社長、副社長をすべて77年入行組にするといった具合である。
 これについて細谷は、「CEOサクセッションプランという次期経営陣を育成、選抜する仕組みを導入した結果で、人物本位の人選をしたまで」と説明している。また、「人事を決める指名委員会(社外取締役で構成)には、年次や出身銀行を入力していないデータベースを見せて(予見なく)選抜してもらった」と、公明正大な人事だったことを強調している。
 しかし、「私(細谷)が(人事の)原案を作成した」ことに変わりはない。人事対象者の年次や出身銀行の名前は、データベースには入っていなくても、指名委員の社外取締役の頭の中には入っていたはず。「細谷会長の意向を汲んで、指名委員会がオーソライズしたにすぎない」(りそな元役員)というのが実態だろう。「細谷チルドレン」の若手幹部が抜擢されたという事実は動かしようがない。
 社外取締役を務める元花王副社長の渡辺正太郎や、細谷氏をりそなに招聘したウシオ電機会長の牛尾治朗の影響を指摘する声もある。
「花王もウシオも、旧協和銀行と親密な関係にある。3行のトップに旧協和出身者を就けるという細谷氏の原案に異論などなかったはずです」(りそなグループ会社の元役員)
 この09年の人事によって、細谷がりそな入りした03年当時に代表権をもっていた第1世代の役員たちは、すべて姿を消した。細谷帝国の完成である。
「院政の弊害が出ているのではないか。みずほの3会長と同じように退いてもらう」
 昨年夏、ある金融庁幹部は、細谷の去就について、こうまくしたてた。細谷の在任期間は、この時点ですでに8年の長きに及んでいた。(後略)

 

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