(前略)
検察官の持つ捜査権と公訴権は、刑事捜査においては比類なき権力である。事件の筋を読み、どうすれば罪に問えるかを考え、その犯罪の起訴に向けた捜査をし、供述を取り、事件を組み立てる。
極端にいえば、事件があったから捜査し、罪を見つけて検察に送検、起訴にもっていく警察捜査の逆バージョン。最初に犯罪が決まっているのだから罪に合わせた供述を取って証拠とし、ガチガチに犯罪をつくり上げる。「シナリオ捜査」といわれるゆえんだ。
この「特捜捜査」の在り方は、今にはじまったことではない。戦後すぐに東京地検に特捜部が置かれて以来、検察が想定するワルを排除するために、この手法が使われた。この強権は独善を生み「検察ファッショ」につながりかねない。
しかし検察は、マスコミの支援を受けて特捜部の意義を保ち、ロッキード、リクルート、金丸脱税など数々の事件を仕上げてきた。検察がワルとしたのは、主に政治家や高級官僚たちである。カネと権力を握る大物に、警察当局はなかなか手をくだせない。そこにメスを入れるのは特捜部しかなく、だから国民は「特捜捜査」を容認した。
今も権力者はいて、政治の力や行政の力で不正はおこなわれている。ただ、ネットの普及、政治資金規正法に見られる法整備、情報公開制度の確立によって、陰で大きな不正を働くのが難しくなった。オープン、透明が「政官」に求められ、国民が誰でも政治家の政治資金収支報告書にアクセスできる時代に、隠し事は難しい。
そうしたなかで、検察が従来通りの「ワルの監視役」であり続けようとすれば、「小沢捜査」のように、しつこく強権を発動して何度も捜査を繰り返すしかないのだが、それでも不発に終わってしまう。「検事の捜査能力の欠如」を指摘する向きがあり、それはそうなのだが、時代の変化、環境の変化がそこにはあり、検察はそれに適応できていない。
だから、恫喝する検事、調書を作文する検事、証拠を改ざんする検事がいて、それを容認する特捜部副部長や特捜部長がいて、「大阪特捜」が手掛けた厚労省元局長の村木厚子事件のように、犯罪がでっち上げられた。
裁判員裁判が始まり検察審査会に起訴議決制度が与えられ、取り調べの可視化が叫ばれるなか、検察は大阪地検事件を機に変わろうとしているのか。
答えは「ノー」である。検察を長く担当する司法記者が明かす。
「変わっていませんね。変わるつもりもない。検事総長人事に内閣同意制を入れられるのを恐れている。自分たちの組織に口出しさせたくないからです。特捜部という組織を置いて、政治家や官僚の監視機関であることをやめるつもりもない。もちろん第三者機関が設置され、何らかの提言がなされるし、国民の目も厳しいから、大阪と名古屋の特捜部を廃止、人事システムを見直すなど多少の操作はするでしょうが、唯我独尊組織であることに変わりはない」
「唯我独尊組織」を象徴するように、「小沢の次は仙谷」なのだという。
もちろん、今、すぐに捜査がはじまるわけでも、はじまったわけでもない。しかし、尖閣諸島の領海を侵犯、巡視艇に体当たりして逮捕された中国人船長を、那覇地検の判断で「処分保留で釈放」にした官房長官・仙谷由人には、深い恨みを抱いている。
「誰が考えてもわかることだし、今や周知の事実ですが、中国人船長を釈放したのは仙谷の意思です。法務省幹部を呼びつけ、恫喝して釈放させた。検察は、淡々と処理、起訴する方針だったのですが、大阪地検事件の弱みを抱えていることもあって、恫喝に屈するしかなかった」(検察関係者)
検察が外交判断などするはずがない。APEC(アジア太平洋経済協力会議)の開催を控え、中国国家主席・胡錦濤の来日をどうしても実現させたかった仙谷は、検察に罪をなすりつける形で、中国との関係を穏便にしておきたかった。
仙谷は全共闘世代の弁護士で、東大時代は活動家だった。三年生の時に司法試験に合格、その抜群の頭脳で戦術面や裁判闘争を担い、前面に出て戦うタイプではなかったという。菅直人政権で官房長官に就任、小沢という重石が「起訴議決」で取り払われてからは「影の総理」として思う存分に活躍、策士ぶりを見せつけている。
だが、策士は策に溺れ、人に嫌われる。今の仙谷がまさにそうで、批判的なマスコミには訴訟を連発して牽制、発売前に内容証明郵便でプレッシャーをかける。弱点を見つけると、検察に対してしたように、嵩にかかって責め立てる。全共闘出身弁護士で人権派、出身は旧日本社会党という仙谷の色はどこまでもつきまとう。
つまり仙谷もまた変われない。元活動家という意味では、仙谷は公安にマークされる存在であった。今回、尖閣ビデオ流出事件を捜査したのは東京地検公安部だったが、彼らにしてみれば、「自分が釈放させて事件を潰し、義憤に駆られた保安官だけ、なんで逮捕しなければならないのか」という仙谷への暗い情念があり、それがサボタージュ捜査となって逮捕は見送った。(後略)