記事(一部抜粋):2010年11月掲載

連 載

【流言流行への一撃】西部 邁

尖閣をめぐる焦眉の課題

 日本人は、はや、「尖閣の屈辱」を忘れようとしている。中国が「日中友好のためには日中共同の努力が必要で、日本は尖閣問題解決のために実効ある対応をしなければならない」と発言しただけで、「これで一件落着」と溜息まじりに安堵の胸をさすっている、それが戦後日本人というものである。
 アンダードッグ(負け犬)であることに馴れきった民族は「どんな屈辱も忘れてしまえば屈辱ではない」ととらえて自己慰安に耽るものなのであろう。それは、いわゆるリグレッション(退行)という名の自己防衛の心理である。つまり、「問題が行き詰まるや、当初の問題意識に逆戻りする」ことによって、自己の心理的矛盾を糊塗するやり方だ。そして、戦後日本の始発点にあった意識とは「領土にこだわるのはもう古い」というコスモポリタニズム(世界連邦主義)なのである。その甘ったるい世界観が、今、民主党政権によって、「尖閣を『友愛の海』にする」というアジア外交となって現れている。
(中略)
 筋を通したのは中国のほうで、温家宝首相が国連の壇上から「領土主権では一歩も譲らない」と呼号した上で、「船長を釈放したからといって日本を許すわけにはいかないのであって、その逮捕の件で日本に謝罪と賠償を求める」と言い放った。立派な覇権外交というべきである。
 それにたいし、宥和外交のほかには外交というものを知らぬ我が国は、政府のみならず国民にあっても、「レアアースの禁輸が解けてよかった、中国人の旅行客もじきに戻ってくるのであろう、逮捕された日本社員のことは忘れよう」と算盤勘定に走っている。亡国の徒とはまさに我ら日本人のことである。
 しかし、戦後という亡国の時代にあって、この列島が亡国の徒で埋め尽くされるのは、当然といえばといえば当然だ。北方領土をロシアに奪われたままであることについて、千島奪還の国民運動は一度も起こっていない。沖縄は形式的には返還されたものの、実質的には、それは「思いやり予算」つきの永久貸与である。それについても奪還の国民運動があったとは聞いていない。それもそのはず、「自衛隊の飛躍的な強化による自主防衛の道」を歩まずにすんでいるのは「沖縄米軍によって日本列島が守られている」からだ、という迷妄の日米同盟論で自己を慰安しているのは、ほかならぬ我々戦後日本人なのである。
「船長釈放」をひそかに要求したのはアメリカだ、それに仙谷長官が渡りに船とばかりに乗ったのだ、と一部で報道されている。その通りであろう。「帝国の衰退」を明確に意識しつつある今のアメリカには、中国と事を構える(能力どころか)気分すらがない。また、それを見込んだ上で、さらには日本の民主党政権が「自主防衛の構えなしにアメリカから離反して無防備の友愛国家になりつつある」と判断して、中国は尖閣で事を起こそうと企んでいるのである。
 中国の政権が(解放軍を根城にする)国内の武断外交派によって突き上げられているのは確かではあろう。しかし、中国が(南沙諸島や西沙諸島で)東南アジア諸国と領土紛争を惹き起こしていることをみても、また資源確保をめぐって世界戦略を展開していることに注目しても、中国外交が覇権主義に走っていることは明確である。
「尖閣の石油」は絶対に奪い獲る、ついでに東シナ海の制海権を握る、それが中国のここ40年にわたる変わらぬ戦略であるとみるほかあるまい。中国国内の権力闘争などはあくまで第二義のことにすぎないのである。
 それを知った上でアメリカは「尖閣の領有権紛争は日中の二国間問題」とシラを切っている。同時にアメリカは「尖閣は日米安保の対象範囲」ともいっている。そうならば、尖閣の領有権は沖縄米軍にとっても決定的な問題のはずである。要するにアメリカは二枚舌をつかっているのだ。事のついでに、「尖閣をアメリカに守ってもらいたいのなら、思いやり予算を増額するのが筋だろう」と日本を、脅かしているのかからかっているのか判然としないが、ともかく突き放している。(後略)

 

※バックナンバーは1冊1,100円(税別)にてご注文承ります。 本サイトの他、オンライン書店Fujisan.co.jpからもご注文いただけます。
記事検索

【記事一覧へ】