「今太閤」と呼ばれ、権力の絶頂期にあった元首相・田中角栄の逮捕は「検察史」に残る大金星だった。
以来、曲折はあったにせよ、自民党元副総裁・金丸信の逮捕起訴、先日、有罪が確定した前衆院外務委員長・鈴木宗男の逮捕起訴に至るまで、地検特捜部の政界をターゲットにした「検察捜査」に対して、新聞・テレビの「司法記者会」に所属する司法記者も、検察と「共闘」する証券取引等監視委員会(証取委)、公正取引委員会(公取委)、国税当局も、そしてなにより国民が、「最強の捜査機関」である地検特捜部に好意的だった。
権力は腐敗する――この逃れようにない事実から国家と国民を守るためには、権力の監視装置が必要である。それが東京、大阪、名古屋の3つの地検に置かれた特捜部であり、総勢60名前後の少数精鋭部隊が、権力機構に目を光らせ、「バッチ(政治家)を狙え」という合言葉のもとで、摘発を続けてきた。
狙われた側は、当然、反発する。「検察ファッショ論」は絶えることがなかったし、検察が描いた通りに事件を組み立てる「シナリオ捜査」も批判の対象だった。
だが、そうした検察攻撃は、特捜検察が必要だというマスコミや国民の意識の前で沙汰やみとなった。
検察と同じような力量を持つ贈収賄事件の摘発部署に警視庁捜査2課がある。300人以上を擁し、組織的に優れているばかりか、厚生省事務次官を逮捕起訴、「聖域」だった外務省外交機密費にメスを入れたことが象徴するように、組織の腐敗を正す能力には定評がある。だが、その捜査2課にして、さまざまに生じるしがらみが原因となって、中央政界の政治家を逮捕したことがない。勢い、権力の監視機関として、特捜検察への期待は高くなり、その分、「捜査の行き過ぎ」は、見逃されてきた。
だが、もはやその域は超えた。ここ10年ほど前からささやかれていたことではあるが、検察捜査の弱体化は目に余り、シナリオ捜査は冤罪の山を築いており、あまりの酷さに司法記者はソッポを向き、検察OBですら容赦なく批判、証取委や国税当局などの幹部もバカにしはじめている。
理由は2つ。捜査能力の欠如と、すべてがオープンにされるなかでのシナリオ捜査の限界。時代は確実に変化し、政治体制も行政機構も変革を求められるなか、「法務・検察」だけが、変化しない唯我独尊組織でいられるハズがない。特捜検察もまた「解体的再生」を求められている。
手法と捜査の限界を見せつけたのが「小沢捜査」だった。
最初の「小沢捜査」は、公設第一秘書・大久保隆規が、西松建設から3500万円の献金を受けながら、それを政治資金収支報告書上は、「西松建設OBが代表を務めるダミーの政治団体からの寄付」と、虚偽記載をしたとして逮捕された。
2番目の「小沢捜査」は、政治団体の「陸山会」が04年に購入した世田谷の宅地取引において、4億円の購入原資に偽装があり、それ以降の記述にも問題があるとして、元秘書(現代議士)・石川知裕、前述の大久保、元秘書・池田光智の3人を逮捕起訴した。
この捜査が、どれだけ強引だったかは、昨年3月の大久保逮捕から今年2月の石川ら3人逮捕まで、「とにかくなんでもいいから小沢事務所へのウラ献金について吐け!」と、ゼネコン、サブコンの業務屋(談合・政治担当)を、何度も読んで繰り返し事情聴取、追い込んでいったという捜査手法から明らかだ。
「小沢一郎なら叩けばホコリが出るに違いない」という思惑捜査。もし、逮捕起訴案件が見つからなくとも、起訴は検察審査会が引き継ぐ。「だから吐け!」と、石川の取り調べ過程で支離滅裂なことを言った特捜部副部長クラスの幹部がいた。
本末転倒である。民主党前幹事長の小沢は、10月末に出される検察審査会で「起訴相当」となり、強制起訴されたら「受けて立つ」と言いつつ、「素人が決める今の仕組みでいいのか」と疑問を呈した。この小沢の認識は正しい。感情に流される一般国民に「起訴」「不起訴」を決めさせる検察審査会の今の役割には無理がある。そう認識するのが当然なのに、自分たちの不手際(不起訴)を補う役割を検察審査会に求める検事がいるというだけで、この捜査機関は終末を迎えている。
捜査着手すれば必ず逮捕案件にして立件する――。この特捜検察の発想が、あまりに歪な方向にいってしまったのが、検察史上最大の失態といえる「村木事件」だろう。(後略)