(前略)
コムスンの撤退からほどない08年5月、業界五位のメデカジャパンを、第三者割当増資を引き受けることで傘下に収めたのが「ユニマットホールディングス(HD)」(高橋洋二代表)である。
読者の中にはユニマットという社名をご存じでない方もいるかもしれないが、3年前に東京・渋谷区の女性専用温泉施設「シエスパ」で大爆発が起き、女性従業員三名が死亡するなどした惨事をご記憶だろうか。事故が起きたのは、奇しくも、コムスン撤退と同じ07年6月のことだが、この温泉施設を経営していたのがユニマットHD傘下の「ユニマット不動産」である。
当局はこの爆発を単なる事故とは見ず、この3月、施設を施工した大手ゼネコン「大成建設」の社員とユニマット不動産の担当役員を業務上過失致死傷罪で在宅起訴した。
「シエスパでは、汲み上げた温泉水から発生するガスを逃がす配管がU字型になっていた。そこに溜まった水を定期的に排水しなかったために、ガスが排出されず、制御盤の火花が発火源となって爆発したと見られている。配管の形状とメンテナンスの怠慢が事故の原因というわけだが、最低限の安全措置としてガス濃度検知器を設置しておれば、事故は防げたかもしれない。あるメーカーが検知器を置くよう警告していたが、ユニマット側は数十万円の費用をケチって設置しなかった。また、大成はそのU字管の危険性を知りながら、それを敢えて施工した疑いを持たれている」(捜査関係者)
この事故で業務上過失致死傷罪に問われるのは、ユニマット側では前述した通りスパ運営会社の担当役員である。しかし、関係者の間では高橋代表の責任を問う声が圧倒的に多い。
「ユニマットグループではすべての指示は高橋氏が出している。ユニマット不動産の社長や役員はお飾りにすぎない。高橋氏は、自分の趣味には大金を注ぎ込んでも、事業ではカネを出し渋る。安全対策など、儲けに関係ないものにはなおさらだ。法的にはセーフとしても、爆発事故は高橋氏の過失による人災。事情聴取を受けたのも、当局が、実質的な経営者は高橋氏と見ていたからです」(関係者)
ユニマットグループが安全対策を怠ったのは、同グループが資金難に陥っていたからではもちろんない。前出の介護会社メデカジャパンの第三者割当増資を引き受け、同社を傘下に治めた際には38億円を惜し気もなく投じている(グループ各社で所有する割合は約41%)。
そのメデカは現在、小山康文社長を除いた役員のほとんどはユニマットグループ出身者で占められているのだが、同社株に変化が起きたのはこの2月3日のこと。グループが保有する41%のうち、ユニマットHDの所有していた約26%が高橋氏個人に移された。業界では、いよいよ高橋氏みずから代表権を持つ会長に就くのではないかとの見方が有力だ。
実は高橋氏は、すでに二つの上場企業の代表取締役に就いている。
一つは東証1部上場の「ユニマットライフ」(東京都港区)。オフィス向けにコーヒーのレンタル機械を設置していた旧「ユニマットオフィスコ」などが合併した会社で、一〇年三月期の売上高は約五四〇億円を見込む。
もう一社はジャスダック上場で伊カッシーナ社の家具輸入販売会社「カッシーナ・イクスシー」(東京都渋谷区)で、こちらの同売上高は約60億円。
このほか、未上場ながらエステ業界でその名を知られる「たかの友梨ビューティクリニック」(正式な法人名は「不二ビューティ」)も、高橋氏は05年に株式49%を取得して会長に就いている。買収価格は約100億円という。
ちなみに、この不二ビューティの高野友梨社長が約28%の筆頭株主になっているのは、エステ業界唯一の上場企業、ヘラクレス上場の「ラ・パルレ」(東京都千代田区)。同社は若者に高額の契約を結ばせたり、「誰でも痩せる」と誇大広告を出していたことから08年3月、東京都から一部業務停止命令を受けて業績が傾いた。その機に高野氏は乗り込んだのだ。
こうして見ると、高橋氏はエステ業界でも重要な地位を占めていることがわかるが、実は高橋氏がメデカジャパンを傘下に収めたのも、高野氏同様、メデカの苦境に乗じてのことだった。
メデカは神成裕氏が一代で築いた会社で、そもそもは病院の臨床検査代行を主体としていた。しかし神成氏の特別背任疑惑が浮上。同氏は倒産する会社の社債を70億円も購入(見返りがあったと思われる)していたとされる。その巨額損失を穴埋めするために第三者割当増資が行われ、メデカはユニマットの傘下になるとともに、神成氏は代表権のない会長に退いた。
筆者がユニマットグループの介護事業進出に危惧を覚えるのは、シエスパの爆発事故の原因になった、杜撰な安全管理の問題だけではない。実は高橋氏、過去に悪質な容疑での逮捕歴があるからだ。
エステや介護の企業を数十億円、100億円といった単位で買収できたのは、ユニマットグループの中核企業ユニマットライフを、一代で東証1部上場企業にまで成長させた高橋氏の経営手腕にほかならない。その同社の急成長の原動力となったのは、消費者金融事業だった。(後略)