記事(一部抜粋):2010年4月掲載

経 済

「企業研究】松屋 大株主に渦巻く思惑

三越伊勢丹は創業家追放に動くか

(前略)大丸と松坂屋、三越と伊勢丹、西武とそごうなど、大手主要百貨店は次々と統合され、業界再編は確かに進んだ。しかし効果はほとんど現れていない。
 そのような合従連衡に、ひとり背を向けているのが「松屋」だ。
「秋田正紀社長は07年に社長に就任する際、独立路線を堅持するという趣旨の発言をしている。それも一つの経営方針といえなくはないが、どこからも相手にされなかったというのが実情です。松屋の大株主の中には、この松屋の存在を目障りに感じ始めたところもある。そのため、『MIM包囲網』、ことによれば『T』も加わり、創業一族の排除を含めた荒療治に乗り出すのではないかとの見方が急浮上しています」(流通関係者) 
 MIMのうちのIとM、そしてTは、松屋と関係が深く、かつ上位10社に名を連ねる大株主の頭文字だ。
 09年8月末時点で松屋株はI=伊勢丹が4.1%、M=三菱UFG銀行は4.6%、T=東武鉄道が4.5%を保有している。もう一つのMは、大株主ではないが三越のことを指す。
(中略)
 そうした経緯もあって、「松屋と伊勢丹は近親憎悪の関係」といわれるわけだ。
「しかし伊勢丹にすれば、自分たちは創業家の小菅家を排除して経営の近代化に努めてきたという自負がある。大丸の下村家、高島屋の飯田家など、老舗百貨店の多くも創業家を排除している。なのに松屋は、いまだ創業一族の古屋家が実権を握っている。それが不満の種になっている」(流通関係者)
 それゆえ伊勢丹など大株主が結託して、松屋の古屋勝彦会長と会長夫人の弟である秋田社長の排除に動くとの観測も流れてくる。
「実際、松屋の経営トップが引責辞任すべき理由は厳然としてあるわけだし、伊勢丹との関係が深い三菱UFJも協力するとの見方は根強い」(同)
 そうした中、キャスティングボートを握るとみられるのが、東武グループだ。
 松屋と東武グループの関係も深くて長い。松屋は1969年(明治2年)に、初代の古屋徳兵衛が横浜石川町に「鶴屋呉服店」を創業したのが始まり。1899年に東京へ進出し、1908年には衣料や化粧品などを海外から直接輸入したことで大きく飛躍し、「銀座でも一番モダンな百貨店」というの評判を獲得した。
 東武とは、東武鉄道の浅草駅の開業に伴い、駅ビルのテナントとして入居したことから関係が強化された。前述したように東武鉄道は松屋の大株主の一つである。
 また、東武の創業者、根津嘉一郎が当時の甲州財閥を率いていたことから、山梨県出身の古屋徳兵衛との絆もことのほか強かった、と言われている。
 松屋には社外取締役が二人いるが、そのうち一人が根津嘉澄・東武鉄道社長である。ちなみにもう一人は、やはり大株主である東京海上日動火災出身の本田大作氏。東京海上はいうまでもなく三菱グループの有力企業だ。
 しかし、先に触れたように東武鉄道の子会社である東武土地建物が、松屋株の保有比率を引き下げている。松屋との関係を見直す方針なのかもしれない。
 実際、松屋は浅草店の大幅な減床に乗り出している。今後、両社が関係強化を図るメリットは想像しにくい。
「伊勢丹が小菅家を追い出した際には、当時の三菱銀行が動いた。また三越の岡田茂社長の追放劇では、三井銀行の小山五郎氏が一役買っている。三菱が、同じく大株主のみずほ銀行を説得すれば、古屋家を一掃するクーデターは成功するだろう」
 流通関係者は観測を交えてそう解説するのだが、この解説には鵜呑みにできない部分もある。
 なぜならば、仮に古屋一族を追放し、その結果、銀座松屋店が再生すれば、三越銀座店にとってはむしろマイナスとなるからだ。
 三越銀座店は今秋にも、売り場面積をこれまでの1.8倍に拡大し、海外ブランドの雑貨を強化する方針を打ち出している。対する松屋も海外ブランドの強化を図るとしており、両店は商品政策が完全にバッティングしている。
 もちろん、伊勢丹と組む三越のほうが、海外ブランド獲得競争では優位に立つ。松屋がブランド調達に窮するような妨害策をとることも十分考えられる。いずれにしても、三越にとっては、松屋が低迷を続けたほうがいいのだ。(後略)

 

※バックナンバーは1冊1,100円(税別)にてご注文承ります。 本サイトの他、オンライン書店Fujisan.co.jpからもご注文いただけます。
記事検索

【記事一覧へ】