記事(一部抜粋):2009年10月掲載

社会・文化

亀井静香の「血刀」に怯える面々

小泉改革を進めた奴らは絶対許さない

 こんな世の中は、血刀を振るってでも正して行く――。郵政・金融相の亀井静香は、4年前の総選挙で、こんな時代がかったセリフを口にした。怒るのも当然である。
「米国流」の資本主義に日本を巻き込もうとする「小泉―竹中路線」に抵抗、全国津々浦々の郵便局ネットワークを守ろうとする政治信条を持つ亀井らに、小泉政権は「造反派」という呼称を与え、「刺客」を送り込んだ。
 亀井の広島6区から出馬したのはライブドア元社長の堀江貴文。弱肉強食の社会を肯定、カネ儲け第一主義を臆面もなく掲げる堀江は、亀井の対極に位置する。自民党に数々の功績を残し、「我こそは保守本流」という認識で党を飛び出した自分に、話題先行を見越してホリエモンをぶつける小泉純一郎のあざとさが、なんとも許せなかった。
 警察官僚時代は連合赤軍をはじめとする「極左」担当で、政界入りしてからは靖国参拝問題などで外国からの干渉を排除しようとする国家基本問題同志会を立ち上げるなど、亀井にはタカ派的なイメージが強い。
 確かに国家問題などでは右寄りで間違いないものの、政治家としてのスタンスは「弱者救済の視点を持った反権力主義者」である。東大経済学部ではマルクス経済学のゼミに所属、アルバイトばかりで「オール可」だったという亀井が、熱心なマルキストになったわけではないが、機会均等の平等主義というマルクス哲学の持つエッセンスは学び、咀嚼した。
 金融相就任直後の記者会見で「平成の徳政令」をぶち上げ、外資と銀行を驚愕させた。創造的破壊が経済成長の必須要因である資本主義社会において、退場すべき企業を生き永らえさせる政策は、企業の足腰を逆に弱めるうえに、金融機関の体力を奪う。外資ならずとも日本株は「売り」なのだが、弱者救済の亀井は、シャッター通りに代表される地方の疲弊を容認できない。
 だから支払い猶予の「徳政令」なのである。同時に郵政担当相として、足腰の弱った老人の多い過疎化した地方で、唯一のサポート機関である日本郵政を、このまま民営化させるつもりはない。郵便、簡保、郵貯の3事業を一体化、改正法案を提出する。
 ここに流れているのも経済合理性に逆らう弱者救済の政治家としての使命であり、それをイデオロギーで捉えれば、亀井は「国家社会主義者」ということになろう。
 ただ、老人、地方、生活困窮者といった弱者への亀井の柔らかい視線は、強者に対してはとたんに強くなる。「徳政令」に財務相・藤井裕久が否定的な発言をすると、「財務大臣は自分の仕事をしてればいい!」と不快感を露わにした。憶測情報を掲載、挑発したマスコミには高額の損害賠償請求訴訟で応じ、権力者には歯に衣着せず批判する。
 そうした性向を持つ亀井にとって、日本を歪めた小泉政権下の実力者は許しがたい。まず、なにより元金融相の竹中平蔵である。市場改革を進め、金融機関に対して強制的な不良債権処理を迫り、合従連衡を促して新しい金融秩序を構築、日本を「失われた一〇年」から立ち直らせた功労者、という好意的な見方があるが、亀井は「日本を米国に売り渡した学者政治家」と厳しく捉えている。
 竹中は、グローバル化の進行のなかで日本を「米国流」に添わせることが日本の国益に叶うという確信犯だった。
 米国が日本に対して要望する「年次改革要望書」と竹中の路線が、ほとんど同じであるために「米国の走狗」といった批判もあるが、「規制緩和による需要創出で産業を振興、政府の役割をできるだけ小さくする」というのは、米国で学んだ経済学者のほとんどが陥るもので信仰に近い。
 米国にはそれに加えて、政治任用で政権入りした学者や実業家が、二大政党制の下、政権交代で野に下るという伝統があり、官民一体の経済原則が浸透している。それが強力なロビー活動を生む。
 竹中は、その「米国流」のシステムを当然と受け止め、日本を米国に添わせてきたが、財務省のなかには、自分たちが握ってきた金融秩序に改革を迫った竹中へのアレルギーがあり、それが「竹中調査」につながっている。調べているのは国税庁である。
 同庁が問題視しているのは、日本での住民税の納税を嫌って、毎年、1月1日に住民票を米国に移すことを繰り返した竹中の功利性、納税意識の低さである。そこに、米国の企業や組織のロビー活動に膝を屈したかに見える竹中への不審が加わる。
 ロビー活動には対価が絡む。そこで、竹中の政治家時代の貢献に、時間差で謝礼が支払われる可能性があるとして、国税当局は竹中に対する監視の目を緩めていないという。
 その竹中の路線を、規制緩和の観点から支えたのがオリックス会長の宮内義彦であり、メガバンク代表の立場で協力したのが三井住友銀行元社長の西川善文である。
 総合規制改革会議議長などで一〇年以上も規制改革の中枢にいて、それをビジネスに転化、「政商」といわれる宮内の商法については、よく知られている。そして、当初、銀行代表として強硬路線の竹中と対峙する立場だった西川は、経営危機を乗り切るためにゴールドマン・サックスとの資本提携を模索した。その橋渡し役となったのが竹中である。02年12月11日、後に財務相に就任するポールソンCEOと竹中と西川の三者会談が実現した。
 これを機に、竹中、宮内、西川のトライアングルが形成され、西川は竹中の引きで日本郵政の社長に就任、「かんぽの宿」はオリックスに売却された。
 日本郵政株式会社法で、民営化から五年以内の「かんぽの宿」などの譲渡か廃止の付則をつけたのは竹中である。その付則に従って「かんぽの宿」は売りに出され、元総務相・鳩山邦夫をはじめ、誰もが不審を感じる入札でオリックスが落札した。
(後略)

 

※バックナンバーは1冊1,100円(税別)にてご注文承ります。 本サイトの他、オンライン書店Fujisan.co.jpからもご注文いただけます。
記事検索

【記事一覧へ】