なぞなぞを一つ。世界で最もよく知られた株式会社で、毎日、世界中の新聞の紙面を飾り、その一挙手一投足が世界経済を動かしているにもかかわらず、実態が厚いベールに包まれている会社とは?
答えは「米連邦準備制度理事会(FRB)」。米国の中央銀行である。
100年に一度と言われる金融危機に直面した世界各国は、それぞれ中央銀行を通じて潤沢な流動性を金融市場に供給する一方、大規模な財政出動によって実体経済の下支えに奔走、金融機関への公的資金注入にも踏み込んでいる。そこで改めてクローズアップされているのが各国の中央銀行、とりわけその総本山であるFRBだ。FRBとは果たして何者なのか。
(中略)FRBが発足したのは、実はそう古いことではない。1776年の建国以来、米合衆国では、「第一合衆国銀行」や「第二合衆国銀行」といった中央銀行設立の試みはあったものの、分権主義の思想から実現せず、個々の銀行が金準備を使って紙幣を発行するローカルカレンシーの時代が長く続いた。
しかし1907年にロンドンで米銀の手形割引拒否に端を発する恐慌が起き、米国内の決済システムが混乱。その対策として、JPモルガンやポール・ウォーバーグ、ジョン・ロックフェラーなどの後ろ盾の下、1913年に、ウィドロー・ウィルソン大統領が「オーウェン・グラス法」に署名、FRBが成立したとされている。
だが実際は、1815年にイングランド銀行を支配下に置き、英国の通貨発行権と管理権を手中に収めたロスチャイルド家が、その食指を米国に伸ばし、FRBを設立、事実上、米国の通貨発行権と管理権を手に入れたという見方が有力である。それは、不可解な「オーウェン・グラス法」の成立過程からも見てとれる。
FRBを設立する法案を最初に議会に提出したのは、共和党の重鎮だったネルソン・オルドリッチ上院議員。ジョン・ロックフェラーの義父に当たる人物である。しかし、この法案は民主党の猛反対で頓挫。そこでロスチャイルド家が目を付けたのが、1912年の大統領選挙で泡沫候補と言われていた民主党のウィルソンだったといわれる。
その大統領選では、共和党の分裂も手伝い、当初の予想を覆してウィルソンが当選。新大統領はすぐさま、廃案となったオルドリッチの法案とほとんど内容の変わらないオーウェン・グラス法案を、年末で議員の多くがクリスマス休暇をとっている期間にあえて上程、議会を通過させてしまうのである。
この法案成立の過程から、ロスチャイルド家とウィルソンとの間に、選挙支援とFRB設立を巡る密約があったのではないかとみられているわけだが、真相は藪の中。ただ、ウィルソンは晩年、手記に次のように言い残している。
《私はうっかりして、自分の国を滅亡させてしまいました。大きな産業国家はその国自身のクレジット・システムによって管理されています。私はそのクレジット・システムを一点に集結させてしまいました。したがって、国家の成長と私たちのすべての活動は、ほんのわずかな人たちの手の中にあります。私たちは文明化した世界においての支配された政府、ほとんど完全に管理された最悪の統治の国に陥ったのです。もはや自由な意見による政府、信念による政府、大多数の投票による政府はありません。小さなグループの支配によって、拘束される政府と化してしまったのです》
かつてマイヤー・アムシェル・ロスチャイルドは「私が一国の通貨を支配できれば、法律などは度外視できる」と豪語したと伝えられているが、FRBは、まさにヨーロッパの金融資本と米国で台頭した新興財閥が、米国に設立した、「無から有を生む」夢の通貨製造マシーンといえよう。いまだに判然としないFRBの株主、所有者名簿が何より、そのことを雄弁に物語っている。(後略)