記事(一部抜粋):2009年5月掲載

社会・文化

霧の中の「再生への序章」

57兆円の大盤振る舞いの是非

(前略)
 資本主義社会において、バブルは必然である。成長とインフレを基調にした経済は、必ず余剰を生み、それは豊かさをもたらすものの、適正規模にコントロールできずにバブル化、やがて崩壊する。従って、バブル崩壊は行き過ぎた成長の調整であり、「再生への序章」と位置づけることができる。
 昨年10月のリーマンショックを機にしたバブル崩壊は、単なる調整では済まない衝撃を世界に与えた。「モノ」と「カネ」が世界的規模で余剰になっていたからで、それはグローバル化とIT化と金融資本主義が、20世紀末以降、世界標準となっていたことの証だった。
 バブル崩壊が世界同時に発生した時、どのように対処するかの方程式は、まだ編み出されていない。ただ、世界のGDPの9割を占める20カ国が集まり、金融サミットを何度も開催しているように、各国が手を携えて、共通の問題意識を持ち、事に当たらなくてはならないことだけはハッキリした。
 前面に登場するのは国である。
 日本も国家が蘇った。政府は4月10日、急激に悪化する経済情勢を下支えするため、事業規模が56兆8000億円に達する追加経済対策を決定した。経済政策を総動員、戦後最大の規模となった。世界不況に不安感をつのらせていただけに、国民も企業も歓迎、麻生内閣の支持率は上昇に転じた。
 規制緩和も財政再建も構造改革も、すべて「おあずけ」になった。あれだけ人気の高かった元首相・小泉純一郎は役割を否定されて過去の人となり、右腕だった元金融相・竹中平蔵は、新自由主義へと日本をリードした「戦犯」として弾劾され、「民」の立場から規制緩和をリードした宮内義彦が率いるオリックスは、ノンバンクを襲う金融恐慌に耐え切れず、日本銀行や日本政策投資銀行(政投銀)に支援を求めるありさまだ。
 小泉政権が痛みを伴う改革を国民に迫り、「抵抗勢力」の政治家や官僚が追い詰められていただけに、反動は大きかった。振り子の原理である。
 国家の非常時に、政治家がリーダーシップを発揮、復権を果たした官僚が各種の調整と工作を行うことに問題はない。凍りついた金融には国の力で暖かい血液を送らなくてはならないし、手っ取り早く有効需要を創出するためには公共事業が欠かせず、雇用を安定させるためには企業を資金的に支える必要がある。
 ただ、縦割りの省益に走る官僚は、監督下の業界や企業に目を奪われがちだし、陳情を受ける政治家は、予算バラ撒きの人気取りに走りがちだ。約57兆円の事業費には、その弊害が表れている。
 雇用助成、省エネ家電やエコカー導入での環境支援、子育て応援特別手当、企業向け資金支援、羽田空港や三大都市圏の緊急整備、贈与税減税……。
 幅広く目配り、新規需要と事業の創出、セーフティーネットの充実、雇用の安定確保とメニューは満たしているものの核がない。権限を剥ぎ取られていた官僚が、この機にうっ憤を晴らそうと頑張った分、特徴がない。官僚任せの弊害が出てしまった。事業費のうち真水の財政支出は15兆4000億円だが、それだけ投じて生まれる需要は約2兆円と試算されている。国のカネを企業と国民の懐に移動させたに等しい。
 ただ、繰り返しになるが、金融機関が金融を止め、世界的に需要が急落するなか、国の資金で急場をしのぐのは世界の共通認識であり、たとえ効率が悪くとも、「国」から「民」への資金移動であっても、批判することはできない。それしか方策がないからだ。
 とはいえ国家が前面に出てくるあまり、そして復権した官僚が、国民や中小企業より「仲間の大企業」に目配りするあまり、企業にとってもっとも大切な、再生への努力が忘れられていることは指摘しておきたい。(後略)

 

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