記事(一部抜粋):2008年12月掲載

経 済

【企業研究】新生銀行

外人社長「迷走経営」のツケ

(前略)
 新生銀行を再上場に導いた八城は05年に社長を退き、06年には会長職も辞して、ほどなく「中国建設銀行」の社外取締役に転じた。また八城を新生銀行に招聘したコリンズも07年3月に取締役を退任した。後任に就いたのは、オーナーであるフラワーズとハーバード大学時代の学友ポルテだった。八城の退任は、新生銀行を再上場させ、再生にひとつの目途がたったためとされたが、実際はどうだったか。このまま経営を続けるのはリスクが高いとみて、身を引いたのが本当のところではなかったか。
 ポルテに引き継がれて以降の新生銀行は迷走の連続だった。その極みは、大信販(現アプラス)を買収し、同社社長の杉山淳二を新生銀行の副会長(06年に会長)に迎えたことである。旧三和銀行で頭取候補の筆頭とみられていた杉山が、アプラスに飛ばされて腐っていたところに手を差し伸べたわけだが、やがて杉山はポルテと鋭く対立する。新生銀行元幹部はいう。
「杉山氏は三和銀行の企画担当役員経験者で、行政に顔が利くという触れ込みで会長に迎えた。ところがポルテ社長は役不足とみなしたようだ」
 その杉山は、寺井宏隆(後に新生銀行専務、08年6月に退任)をはじめ三和銀行時代の部下を10人近く引っ張り、本気で再生に取り組んだが、ポルテの無能さと横暴に愛想を尽かして、今年5月、突然退任してしまう。
 前職のモルガン・スタンレー時代に「コストカッター」としてリストラに手腕を発揮したポルテは、「瞬間湯沸かし器」と渾名されるほど性格が短気で、本店19階の社長室に日本人の部下を呼んではどなり散らしていたという。当然、英語しか話さない。日本に溶け込む気などさらさらなく、オーナーのフラワーズの友人ということもあり、「新生銀行に進駐したマッカーサー気取りだった」(新生銀行元幹部)という。
(中略)
 ポルテが社長に就任して以降、新生銀行の業績は低迷したが、一方で、資本力をものをいわせてノンバンクを積極的に買収した。前述のアプラス、中堅リース会社の昭和リース、中堅消費者金融のシンキなどである。いわゆる「コンシューマー・アンド・コマーシャルファイナンス」への進出である。
 しかし、この戦略は大きな躓きを生む。出資法と利息制限法のそれぞれの上限金利の間のグレーゾーン金利の適用について、最高裁が違法判決を出し、金融庁も貸金業法と割賦販売法の改正に乗り出したからだ。最高裁判決に基づく過払い金の返還訴訟が相次ぎ、ノンバンク市場は急速に収縮していった。07年3月期には、アプラスののれん代・無形資産の償却、利息返還損失引当金など1113億円、シンキの利息返還損失引当金146億円などのコスト負担で、赤字に転落した。さらに、最後の拠り所であるリテール部門の実質業務純益も赤字に転落した。それでもポルテのノンバンクビジネスへの傾斜は止まらなかった。
 ポルテが一方で力を入れたのは、投資銀行ビジネスだった。狙いは成長分野とみられた不動産市場へのコミットメントで、米ベアー・スターンズから証券化チームを引き抜き、不動産業向けノンリコースローン(非遡及型融資)や、自己資金にレバレッジをきかせて投資するプリンシパル・インベストメント業務を展開した。この中には、破綻したパチンコ大手ダイエーの資産流動化商品もあった。
 しかし、これら投資銀行ビジネスは、海外への投融資も含め、07年夏のサブプライム問題の顕在化から暗転。不動産市場の急落も重なり、収益の嵩上げどころか損失処理に追われる結果に終わった。(後略)

 

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