記事(一部抜粋):2008年11月掲載

連 載

【流言流行への一撃】西部邁

迫りくる世界大不況の足音

(前略)
 アメリカは、長きに及んで、経済的実力をはるかに上回る大量消費を享受してきた。それを続行すべく、基軸通貨たるドルを刷りつづけ、そしてそれだけではインフレを加速させるので、諸外国から資金を集めつづけてきた。その帝国の地位を維持しようとして、軍事および情報の網目を世界に張り巡らしてもきたのである。しかし、それでもアメリカ帝国の地位低下は休むことなく進み、ついに「証券投機」で資金をかき集めるのやむなきに至ったのである。
 いわゆるサブプライム・ローン(SPL)は詐欺も同然の投機である。それは、1つに、証券市場の未来はIT(情報技術)によって(確率計算として)合理的に予測できる、と前提している。だが、少なくとも(住宅投資市場におけるような)長期期待にかんしては、合理的期待形成は不可能である。未来は、計算可能なリスク(危険)ではなく、計算不能なデンジャー(危機)に満ちている。
 2つに、住宅価格が上がりつづけるという(期待形成に当たっての)その前提が詐欺話に等しい。貧困層が予想通りにローンを払えなくなり、多数がこぞって住宅売却に走れば、住宅価格は下落する。そんなことは子供にだってわかる話ではないか。3つに、SPLのデリヴァティヴ(派生証券)を発行するに当たって、いわゆる「スライス・アンド・ダイス」の手法がとられた。それは、SPLを「薄切り」にし、それを組み込んだ新証券を次々と販売する過程で、リスク計算をいっそう困難にした。そんなデリヴァティヴ市場で、「賽子」を転がすようにして賭博をやろうと企てたわけだ。
 4つに、いわゆる「梃子」の手法で、一般に手持ち資金の30倍にのぼる資金借入が金融市場の常態となっていた。それは新証券のリスクを、30倍、不確実にし、そのデンジャーを、30倍、拡大した。5つに、かくも不合理な投資が続行されたのは、証券市場がエンシュージアズム(熱狂)に包まれていたからである。つまり、証券投機のキャプテン(総帥)たちの心理は冷静から程遠かったということである。
 6つに、その証券投機に危機を感じた賭博者(たる証券会社)は、労働力、エネルギー、食糧、原材料といった実物商品を投機対象としていった。しかし、それらの商品投機市場もじきに値崩れを起こしはじめ、かくしてグローバル・マネーは逃げ場を失ったのである。
 貨幣経済のかかる乱脈ぶりは実物経済に影響を与えずにはおかない。それもそのはず、実物取引の決済は貨幣で行われるのであるから、少なくとも企業の「経営」の次元でいえば、貨幣は1つの「生産要素」なのである。この生産要素が欠落すれば、実物の生産(および販売)が頓挫するのは当然の成り行きである。要するに、賭博者たちは、賭博場にたいしてのみならず、それを取り囲む社会にも、デリヴァティヴ銃を休みなく撃ち込んだのであった。その銃撃戦で疲れ果て傷ついたヤクザたちが、今、路上にへたり込んで、政府に助けを求めている。しかもその銃弾は国際社会の隅々にまですでに飛んでしまったというのであるから、「文明の軽薄と野蛮」には、開いた口が塞がらぬ、といっておくしかあるまい。
 人がマネーを「物神」として崇める(少なくとも崇めたに等しい行為に出る)と、経済は必然的に「不公正と不均衡」に陥る。それもそのはず、経済的な取引の根底には、人々の信頼関係とそれにもとづく信用の創造が、さらには未来への何ほどか安定した期待が、なければならない。物神への熱狂はそうした市場の基礎を掘り崩さずにはおかないのである。
 「市場の声を聞け」などと莫迦をいっていたエコノミストが山ほどいる。しかし、みずからの基礎を失った市場から聞こえてくるのは、物神の前で裸踊りに熱狂する者たちの狂声ばかり、それが少なくともバブルが膨らんでいるときの市場の声である。ところが、バブルが縮んだときの声はといえば、「政府よ、助けてくれ」という悲鳴ばかりなのである。「政府なんか要らない」と叫んでいた者たちが政府の足下にひれ伏している。この哀れな姿をみてもなお一片の反省もしないというのだから、エコノミストは焚書坑儒に処せられるべし、と断定して大過ないのではないか。
 だが、そんな者たちを囃子に乗せたのは、ほかならぬ大衆である。民主「主義」では、その「大衆の声」としての世論の声を聞かなければならないのだ。政府は、「政府よ、助けてくれ」と叫んでいる者たちの手に握られているのである。(後略)

 

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