記事(一部抜粋):2007年11月掲載

政 治

福田操縦を狙う森と古賀

「ドンの座争い」の大きな勘違い

「派閥の代表世話人をやってください」
 福田政権発足からしばらく経った10月上旬、「清和研」の実質的なオーナーである元首相の森喜朗に言われ、谷川秀喜は戸惑った。7月の参院選で大阪選挙区から3回目の当選を果たし、「閣僚に」と要望したが、両院議員会長という名誉職に祭り上げられた。それなら臨時国会終了後の12月に予想される内閣改造でと思っていた。代表世話人になれば入閣は諦めなければならない。
 森は押し付けがましく続けた。
「町村、中川とあなたの3人が代表世話人。2人がケンカしないように取り持ってもらいたい。私は最高顧問に退きます」
 そこまで言われれば政界歴の長い谷川でなくともピンとくる。森は自分のダミーとして谷川を代表世話人に据え、清和研をコントロールするつもりなのだ。
「私には派閥の資金の面倒をみる力はありませんが……」
 そう断って谷川は就任を了承した。
 福田政権の発足で、森は清和研会長だった町村を官房長官に送り込んだ。だが自己中心的な性格の強い町村が、森の言うことを聞かずに「ポスト福田」に向けて突っ走るのは明らか。しかも福田にしてから頑固で融通のきかない性格。森としては派閥をがっちり固めて福田に影響力を行使し、町村を牽制しなければ「自民党のドン」にはなれない。森が清和研の集団指導体制と名誉会長退任を宣伝したのはカムフラージュだ。
 麻生太郎が最有力とされた総裁選が一晩で福田への流れに変わったのは、古賀誠とその盟友の野中広務、2人の元幹事長の動きがきっかけだった。古賀、野中は参院選惨敗の直後から「安倍政権は早晩行きづまる」と福田に伝え、会食を重ねて、その時の出馬を促していた。安倍晋三が首相辞任表明をした9月12日には古賀派の宮沢洋一を派遣。「党内の取りまとめに動く」と電光石火で支持を伝えた。森が清和研を福田支持でまとめたのは、その後だ。
 福田は古賀に恩義を感じ、幹事長ポストこそ渡さなかったが、古賀を三役級の選挙対策委員長に、古賀が次の総裁候補にと目論む谷垣禎一を政調会長に抜擢した。幹事長と同格の選対委員長は、個々の議員の公認を左右するほか、党の選挙資金調達のための経済界との連携、選挙戦のための政策の選択など絶大な権限をふるえる。例えば来年4月からの高齢者医療費負担引き上げを凍結するか、ガソリンの値上がりを緩和するため民主党が提案する構えの揮発油税引き下げにどう対応するかなど、選挙を理由に何にでも口を出せる。しかも党の政策を決める政調会長は弟分の谷垣。古賀は、森よりも強力に福田を操縦できる立場を確保した。(後略)

 

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