参議院を牛耳ってよしとのお墨付きを選挙民から頂戴した小沢民主党代表は、「テロ特措法の延長に反対」の意志を、在日米大使にも訪日独首相にも明言した。小沢氏の思惑通りに事が進めば、日米同盟とやらに大きな亀裂が生じることになる。それゆえ衆議院の解散・総選挙が早まるであろうし、小沢首相の出現というのも大いに現実味のある話だということになる。私自身は、日米同盟をふりかざすいわゆる親米保守の言動を唾棄すべきものと考えてきたし、また自民党と民主党のいずれが政権を握ろうとも現下の日本的大衆社会の惨状に大した改善はみられまいと考えてもいる。だから、その意味では外交を党利党略に供せんとする小沢流の政治算術に目角を立てる気はない。しかしそこに剥き出しにされている政治的無思想ぶりを見逃しにしたのでは、一応は思想家として文筆を執っている私の名分が立たない。したがって現下のテロ特措法論議に一言なかりせば、と思うのである。
小沢氏にあって、アメリカのアフガニスタン進攻は国連の正式決議にもとづいてはいない、それが、自衛隊をインド洋から撤退させるにあたっての大義名分となっている。何という愚かしい見解であることか。さしあたり三つの理由で、この小沢流外交は子供の理屈だといわずにはおれない。
第1に、国連は、とくにその安保理は、諸大国のパワーゲームの場である。それゆえ、正式の決議がとりつけられなくとも、大国間の妥協の結果、半公然の相互了解が成り立つということが起こりうる。アメリカのアフガニスタン軍略はまさにそのようなものであった。そうであればこそ、その(失敗に帰しつつある)軍略を批判する声が国際社会に高まっている、というふうに事は進んでいないのである。その証拠の1つに、ほかでもない、我が民主党が、この5年間、「自衛隊をインド洋から撤収させよ、米英の爆撃機にガソリンを給油するのを止めさせろ」と主張したことなど一度もないではないか。
第2に、国連がパワーゲームの調整の場であることからして当然のことなのだが、そこでの議論も決定も、抽象的な(というより曖昧な)表現になることが多く、したがって、国連の決定を具体的にどう解釈するか、その解釈をいかに具体的に実行するかにおいては、各国に自主的な裁量の余地が多々残されることになる。つまり、「国連決議に従います」という小沢民主党の姿勢そのものが、「自主外交」を捨ててかかっているということだ。いわゆる「タリバンのイスラム原理主義」にどう対応するかについて、具体案の1つか2つかを示さなければ、小沢氏の国連中心主義は要するに大国追随と変わるところがない。それでは自民党のアメリカ追随を批判することなどできはしない。というより国連外交の本質とは、日本政府が国連に向けていかに積極的な提案を行っていくか、換言すれば大国間のパワーゲームにどう参画していくか、ということ以外ではありえないのだ。
3つに、小沢氏は、一体全体、アメリカのことをどうとらえているのか。氏がかつて(「改革政権」を創る際に)発表した『日本改造計画』では、ありていにいえば、「戦後日本のアメリカ化を完成に至らせよ」と主張されていた。それを心底から反省したのでなければ、アフガニスタンについてだろうがイラクについてだろうが、アメリカのいう「民主化要求」に反対できないはずだ。その証左の1つになると思われるのだが、ブッシュ大統領は「60余年前の日本民主化は大成功を収めた」ということをもって、民主化を大義名分とする現行の進攻作戦を正当化している。「戦争は政治の延長である」からには、アメリカ流政治を批判することなしにはアメリカ軍略にも物申せないはずだ。それくらいは、次期首相(候補)にはわきまえてもらいたい。(後略)