「もうこれ以上は身体がもたないんです」
政権を投げ出す理由を、息も絶えだえにそう説明する安倍晋三に対し、小泉純一郎は内心の怒りを押し殺し、「分かった。早く入院して治療したほうがいい」と言うしかなかった。
小泉の悔悟の念は深い。安倍を後継者に指名したのは小泉自身。国民の生命と財産を預かる一国の宰相と命懸けでなければ務まらない。安倍はいかにも不甲斐なかった。
しかも、安倍が連絡してきたのは、テレビで辞任のニュースが流れた後。安倍が事前に相談したのは、幹事長の麻生太郎だけだった。それが小泉にとっては二重にショックだった。
麻生は、郵政民営化に反対した平沼赳夫を復党させようとし、小泉周辺の若手議員は一斉に「小泉改革の後退につながる」と反発していた。小泉は安倍との間で「安倍内閣総辞職の場合の後継は麻生」で一応は合意していたが、絶対の条件は小泉改革の継続。従って麻生を牽制し、改革の継続をもう一度約束させる必要があった。それなのに安倍は「あとは麻生さんにお任せします」と言わんばかりの態度だ。
辞任表明のあった9月12日の夜、小泉チルドレンといわれる若手議員が集まり気勢をあげた。平沼は「私は郵政民営化に反対して落選した人を応援しているから、そこ(同じ選挙区)でぶつかる人は(復党など)冗談じゃないと思っているだろう」と嘯いている。チルドレンの多くは、落選組にたいする刺客。平沼が復党してくれば次の選挙での公認が危ぶまれる。麻生はその平沼に迎合する姿勢。いくら安倍の後継指名があったとしても、すんなり総裁(首相)にするわけにはいかないのだ。
このチルドレンの動きを、中川秀直、武部勤の2人の元幹事長、小泉の首相秘書官だった飯島勲が煽った。
「改革を後退させるわけにはいかない。小泉支持の署名が50人を超えれば、私が責任をもって小泉を総裁選に担ぎだす」
飯島はそんな檄まで飛ばした。もちろん麻生への牽制。飯島は小泉が総裁選に出るつもりがまったくないことを誰よりも知っている。中川、武部、飯島の狙いは、麻生のほうから協力を求めて頭を下げにくる状況をつくることにあった。
ところがその翌日に局面は大きく変わる。福田康夫が最大派閥・町村派の統一候補として総裁選に出馬する意向を表明したのだ。福田は小泉政権の官房長官時代、改革の進め方や対中国政策、靖国神社参拝などをめぐり小泉、安倍と対立し袂を分かった人物。しかも背後にいるのは、改革に異を唱え続けた森喜朗、古賀誠、山崎拓、青木幹雄ら、小泉サイドからいえば「守旧派の重鎮」たち。チルドレンにとっては麻生よりもさらに嫌な総裁となるのは間違いない。
機をみるに敏な中川秀直は、即座に方向転換。森と連絡をとり福田のもとに馳せ参じた。谷垣派、高村派などとの連絡役を買って出、福田のための多数派工作に走り、早々と成果をあげた。残されたチルドレンは、小泉の出馬に最後の望みをかけたが、福田の出馬を知った小泉は即座に森に電話をし、「俺は出ない。絶対に出ない」と宣言してしまった。かくしてチルドレンは「路頭に迷う状況」(1年生議員)となった。(後略)