民主党代表の小沢一郎が主催する「小沢政治塾」が2月1日から2泊3日の日程で開かれた。2001年1月に「小沢氏の政治理念に共鳴する若手政治指導者の育成」を掲げてスタートした同塾。政権を狙う野党第一党の党首の主催であり、入塾希望者が殺到しそうなものだが、どうしたことか閑古鳥が鳴いた。01年の第1回には30人の定員に380人が殺到したが、今年の応募者は、新聞や雑誌に広告を出し、小沢のホームページでも呼びかけたにもかかわらず、わずか20人程度。小沢の側近議員らが秘書や地元の支援者を動員してやっと定員を確保するありさまだった。
「小沢さんはもう時代遅れ」
小沢に批判的な同党の若手からそんな声が漏れる中で浮上したのが、10億円近い不動産を事務所費で購入して自分名義にしていた問題だ。支持者が寄付してくれた資金は自分のものという、昔ながらの特権意識が浮き彫りとなり、党内若手の声は「やはり小沢さんは金権・田中派の人。彼が党首では民主党政権などありえない」と絶望に変わった。来年度予算案成立前に、事務所費問題で真っ黒な農水相、松岡利勝のクビをとるはずだったのに、これで追及は中途半端になった。民主党の意気があがらぬことおびただしい。
実は、小沢の事務所費問題は自民党の幹事長、中川秀直と国対委員長、二階俊博のラインが仕掛けたものだ。ネタ元は昭和50年代半ばから金庫番として小沢に仕えた元秘書のT。ゼネコン社員の動員など小沢の選挙の裏側を知り尽くした人物で、漫画『票田のトラクター』のモデルといわれる。かつて小沢が自由党党首時代に衆院の比例で当選したが、小沢との折り合いが悪くなり、次の選挙では公認されず小沢と決別した。
Tは中川らの要請に応じて小沢の致命傷となる複数の「爆弾」を提供したとされる。首相の安倍晋三が2月に入って松岡の擁護に回るなど、にわかに強気に転じたのはそうした背景があった。
当初、中川や二階は「爆弾」を連続爆破させ小沢を政治的に潰すつもりだった。しかし、小沢の不人気ぶりをみて方針を変更した。2月7日夜、久しぶりに前首相、小泉純一郎と赤坂の料理屋で会談した席で中川はこう言われた。
「幹事長は国会内か党の幹事長室で、どんと構えていろ。そして、小沢を大事にしろ」
もちろん、角福戦争以来の宿敵である小沢を、小泉が庇うわけはない。政局に鋭い勘をもつ小泉は、小沢を生かさず殺さず、不人気のまま民主党代表として温存しておけば、安倍の支持率が低下し続けても、参院選での大敗はないと考えたのだ。そのためには小細工などせず、幹事長室から睨みを効かせていればよい。爆弾は持っているだけで効果がある、というのが小泉の指南だった。(後略)