記事(一部抜粋):2007年3月掲載

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【中国ビジネス最前線】松山徳之

 中国一辺倒の時代は終わった、沸騰するベトナム人気  

     
(前略)ベトナムに生産拠点を設ける企業はあとを絶たない。それを裏付けるのがハノイ市近郊タムロン地区の工業団地だ。同団地は、住友商事がアジア投資時代の到来をにらんで1997年に造成したものの、中国進出ブームの煽りをうけて日本企業の進出が進まず、閑古鳥が鳴いていた。それがこの1、2年で急に売れ出し、第1期と第2期の造成地を瞬く間に完売。このため住友商事は急遽、第3期の造成計画を発表したほどだ。
 ベトナムに生産拠点を移す動きが広がっている最大の理由は、人民元の切り上げに終わりが見えないことだ。またワーカーの人手不足に加え、賃金や社会保険などの負担額が高騰、安くて豊富とみられた人件費神話が崩壊したこと。そのうえ外資に対する市政府のサポートがなくなったばかりか、ときには企業の生産活動にマイナスとなる政策をとるなど、バラ色にみえた中国投資の魅力が完全に過去のものになったからだ。
 05年に青森の本社工場を縮小し、上海に隣接する無錫市に進出した機械部品メーカーの代表はこう嘆く。
「欲しいときに欲しい人材を確保できないケースは日本でも嫌というほど経験した。だから中国に進出したのに、無尽蔵と聞いていたブルーカラーでさえ集まらない。集めても簡単に辞めていく。日本語を理解するホワイトカラーや生産管理がわかる人材となると、もうお手上げだ。これまで何度も『人材倒産』の危機に直面したし、これからも直面し続けるだろう」
 仕事の経験がまったくない大学新卒を、仕事を覚えるまでの六カ月間は月額1000元、その後は3000元という条件で採用した。社会保険や福利厚生費をいれると支払う実質給与額は2倍になる。ところが、1カ月後に3000元に上げてくれなければ辞めると言ってきた。結局、この新卒社員は辞めたが、紹介した人材会社は責任をとらない。
 自動車メーカーと関連部品メーカーが集中し「中国のデトロイト」と異名をとるほどの産業成長を続けていた広州に、04年に進出した機械メーカーの総経理はいう。
「進出に際しては人材紹介所をくまなく訪ねた。しかし100名の募集に対し、集まったのはたった10人。地元の学校を訪ね歩き、在校生を仮卒業させるよう校長に談判してようやく開業にこぎ着けた。日本語ができて工場管理のできる人材を求めて、大連や天津にまで足を伸ばすこともある」
 人手不足に危機感を抱く沿海部の地元政府は、内陸部や回族の西域にまで労働者確保のために役人を送ったり、職業訓練学校を設立するなどの努力をしているが、目にみえる効果はない。進出企業は運よく人材を確保できたとしても、「争議」という名の労働者の反乱にあうこともあり、そのたびに中国の労働事情の厳しさを思い知らされる。以前は、外資誘致委員会が企業の側に立って争議の収拾に乗り出してくれたが、そうした支援も今ではとても期待できない。
 こうした中国のマイナスを補って余りあるのが東南アジアの国々、とりわけベトナムの投資環境だ。人件費は中国の2分の1以下で、しかも豊富。懸念されていたインフラの遅れも、猛スピードで整備されはじめた。それが台湾、韓国、香港、シンガポール、タイ、そして日本の企業が進出している理由だ。
 ことにベトナム中部のダナンから北緯一七度沿いにラオス、タイ、ミャンマーとインドシナ半島を横断する1450キロのハイウェイ「東西回廊」と、中国雲南省昆明からラオスを経てタイのバンコクまで200キロを結ぶ「南北回廊」の完成は、これらの国々の投資環境を格段に向上させるのは間違いない。
 ベトナムを中心とするインドシナをどう活用するか、また中国の変化にどう対応するかが、日本企業にとって生き残るためのカギになる。というのも、いま中国で起きている「変化」はこれまでとは比較にならないほど大きいからだ。
 その大変化とは、土地私有制を認めたこと。マルクスのいう下部構造(経済成長)が上部構造の政治を変えたのだ。(後略)

 

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