社会・文化
「バッジを狙わない」地検特捜部
ライブドア事件と防衛施設庁事件、その「意義」と「限界」
今年に入って、東京地検特捜部が2つの事件を手がけている。
ひとつは、証券市場を使った錬金術で、株式時価総額を不正に押し上げていた堀江貴文被告の罪を問うたライブドア事件。もうひとつは、防衛施設庁の現役官僚が、OBの就職先確保のために天下り先企業に工事を発注していた防衛施設庁談合事件である。
地検特捜部は、直告1班、直告2、財政経済班の3班体制。このうち財政経済班は、脱税事件の処理に追われることが多いため、「最強の捜査機関」として「政官業」の罪を問う特捜部は、1班わずか10人強という人数的な制約もあって、ひとつの班が事件着手すれば、もう1班は後方支援するのが通例。ライブドア、防衛施設庁ともそれなりに社会的インパクトが大きく、解明に手間のかかる事件であったにもかかわらず、それを同時並行の形で進めたのは極めて異例だった。
新聞・テレビは、「特捜案件」を大きく報じる慣習があり、各社とも法務・検察をカバーする「司法クラブ」には精鋭をそろえているが、2つの事件の同時進行には頭を悩ませたようだ。
「容疑者の逮捕、起訴が重なることが多く、人員を確保、漏れのない取材体制を組むのがたいへんだった。今年に入って、記者はほとんど休みを取っていない」(全国紙司法クラブのキャップ)
特捜部もマスコミも総力体制だったが、2つの事件が日本の方向性を示唆するメッセージ性の強いものであったことは、意外に語られていない。
小泉純一郎政権の役割は、橋本龍太郎元首相の時代から始まった規制緩和を軸とした構造改革を仕上げることにある。その流れに沿って、市場では新興企業の上場が容易となり、資金調達のメニューが増え、株主資本主義が確立されていった。「稼ぐが勝ち」というモラルなきホリエモンの登場は、当然、予見できるものだった。
そして市場の自由化は、規制で「業」を律する官僚の力を弱める。それを補完するのは、「市場の番人」である証券取引等監視委員会であり公正取引委員会であり、検察、警察の捜査機関である。ここ数年、証取委と公取委の予算は充実、人員も拡充、証取委に続いて公取委も強制調査権を与えられた。「事前監視」から「事後摘発」に管理体制が変わったのだから、それも当然だろう。
ライブドアは、公認会計士や弁護士をアドバイザーに、確信犯として脱法行為を繰り返し、M&Aによって自己増殖する企業だった。その「脱法」を認めれば、企業社会の秩序が乱れるとして、特捜部と証取委は「一罰百戒」の意味を込めて摘発した。
事後の取り締まりを通じて秩序を維持する捜査機関として、その役割を果たしたに過ぎないが、こうした事件の常で、すぐに「行き過ぎた株主資本主義」への批判が起きる。渡辺恒雄・読売新聞グループ本社会長の「ハゲタカ批判」にも似た感情論であり、そこには株式の持ち合いを軸にした法人資本主義への懐旧の気持ちがある。
だが、特捜部は意識し、計算したわけではないだろうが、そうした「懐古趣味」も許さない。それが防衛施設庁談合事件である。
防衛施設庁の歴代技術審議官は、ゼネコンのOBと結託、天下りを受け入れた企業にOB年収の100倍近くの工事を発注していた。税金のネコババだが、受け入れる業者の側にも「あてがい扶持」を渡しておくだけでムダな競争をせずに済むというメリットがある。
市場中心主義の果てのモラルとルールを欠いた経営は許さないが、競争原理のない馴れ合いの果ての官民癒着も許さない――これが年初から本格化した2つの事件を通じた検察のメッセージである。
こうして検察は、「政官民」に、司法としてのシグナルを送る。その警告を重く見るからマスコミは「特捜案件」を大きく報じる。ロッキード事件、リクルート事件、イトマン事件、ゼネコン事件、大蔵官僚接待汚職事件、西武鉄道事件、そしてホリエモン事件――それぞれに事件を生む時代背景があり、それを断ち切る意義があった。
ただ、最近の検察には、「政治家に対して腰が引けている」(検察OB)といった批判が絶えない(後略)