記事(一部抜粋):2005年8月掲載

社会・文化

「ファンド」バブル崩壊の危機

カネ余りを背景に巨大マネーが利を求めて徘徊

 金融の主体が変わった。間接金融から直接金融へ――失われた10年の教訓は、日本の成長と企業秩序が、メーンバンク制とそれを前提にした「株式の持ち合い」によって支えられたものであり、銀行が力を失った今は、直接金融によって新たな資金調達の手法とルールを築かねばならない、というものだった。
 そこに台頭してきたのが「ファンド」である。
 堤義明被告の「西武王国」が崩壊、みずほコーポレート銀行主導の再建案が容易には受け入れられず、村上世彰氏の村上ファンドやゴールドマン・サックス、モルガン・スタンレーといった外資が西武グループの買収に名乗りをあげ、新経営陣が、間接金融の銀行と直接金融のファンドとの狭間で揺れているのは、時代の変化を象徴する。
 ファンドは正体不明のカネの塊である。不動産、事業再生、M&A、株・債券・為替投資などあらゆる分野でファンドは組成されるが、ファンド自身上場していなければ、出資者の狙いも運用規模も明かされることがない。公平、公正、透明が求められるグローバル経済において、土地や企業や資産運用を支配するファンドが正体を明かさないのは問題だし、これからファンドへの開示圧力は高まろうが、ファンドが「出資の事実を隠したい」という投資家のニーズを満たす存在である以上、「ブラックボックス」という本質は変わるまい。
 ファンドがいかに猛威を振るっているかは、ここ数年、地価高騰が著しい都心部の不動産所有者を眺めればわかる。
 バブル期まで、日本の土地の所有者は個人であり企業であった。「土地本位制」は貫かれ、資産としての価値がある土地を、所得や資産に余力のある個人と企業が競って買い、金融機関は土地という担保さえあれば、躊躇することなくカネを貸した。
 今、都心部のような利用価値の高い、高収益物件は軒並みファンドが取得している。取引の過半は不動産投資信託(リート)や私募ファンドが担い、いずれも証券化を前提としているから、所有権は信託銀行名義となって移転することが多い。売買されるのは信託受益権。かつてのように、不動産登記簿謄本上を所有者が転々とすることはない。不動産は金融商品化した。
 上場企業もそうである。金融機関が株を売却、グループ企業間の持ち合い構造が崩れると、その隙間を埋めていったのはファンドだった。現在、大株主の上位に名を連ねるのは、オーナー企業でなければ、ケイマン島などに本拠を置くヘッジファンド、事業再生ファンド、未公開株投資ファンドなどである。
 これに年金などの機関投資家やゴールドマン・サックスのような投資銀行まで、リスクに対してリターンを求めるファンドと考えれば、上場企業のかなりがファンドに支配されているといっても過言ではあるまい。
 監督官庁を持ち、一般庶民のカネも預かる銀行が、その制約から機動的に立ち回ることができず、企業に資金を流し込む役割をファンドに奪われている。日本の銀行が「リテール分野」の名のもとに、サラ金業務に力を入れているのは、リスクを取る訓練をしておらず、いまだに「減点主義」が横行する銀行の体質を考えれば、やむを得まい。
 ただ、このファンドブームは手放しで礼賛していいものではない。ブームは過熱、もはやバブルと化しており、一部に崩壊の危機さえ迫っている。
 その代表例が「リート」。4年前に初めて2法人が上場され、昨年度末までに16件が上場したが、今年度はそれに匹敵する数の上場が見込まれている。不動産業者ですらその先行きを危ぶむ。
「最近のリートは公募価格に対し、初値がそれを下回ることが多い。利回り3%台を確保するのがやっと、という状況では不人気も当然。それに加えて怖いのは、都内で物件が出なくなったために、リートが仙台、名古屋、福岡など地方中核都市の物件を取得するようになったこと。玉突き現象で地方へ向かい、やがてどこかのリートがババを引く、という構図は、十数年前のバブル崩壊を思わせる」(リート運営会社幹部)
(後略)

 

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