石原慎太郎東京都知事が政策面で光り輝いて見えたのが、排ガス規制への取り組みだった。国の対策の遅れを厳しく批判、都は独自に「東京の空をきれいにする」として、2003年10月1日、「ディーゼル車規制」を実施した。
「国の怠慢と都の成果」――東京都環境局が作成したディーゼル車対策の内容を伝えるパンフレットのこのタイトルに、石原都知事の自信がうかがえる。
事実、ペットボトルに入った黒い粒子状物質(PM)を振りながら、政府や自動車メーカーを指弾、環境浄化を訴える石原都知事のパフォーマンスがなければ、排ガス規制は進展せず、近隣自治体を巻き込んだ「首都圏八都県市のディーゼル車走行規制」は実現しなかっただろう。
それだけにディーゼル排気微粒子除去装置(DPF)を製造販売する三井物産の子会社・ピュアースが、性能に関するデータを偽造して東京都の指定承認を受け、全国で200億円も販売していたというニュースは、石原都知事を激怒させた。環境団体や、「不良品」を取り付けられたバス・トラック業界の怒りも強く、こうした世論に敏感に反応した警視庁は、疑惑発覚からわずか一カ月後の昨年12月27日、三井物産やピュアースなどを家宅捜索、摘発に意欲を見せた。
東京都が「ディーゼル車NO作戦」を発表したのは99年9月である。この動きに合わせたように、三井物産は体制を整え始め、DPF開発事業に着手する。そして、01年6月、東京都が「PM減少装置指定要項」を作成する頃には、試作品とも言える30―Aタイプを都バスに装着、耐久試験を行い、このタイプでの認定を取得している。
データの偽造が最初に行われたのは、02年2月18日の30―Aの改良型の30―Bの指定承認申請の際である。この時、三井物産の嘱託社員であるXと三井物産社員のYは、性能試験と耐久後性能試験において、申請品とは異なるタイプの試作品のデータを、すり替えて提出している。
いち早く取り組んだとはいえ、DPFには競合メーカーが多い。東京都の指定をできるだけ早く取得、市場における優位性を確保したい、というのが、Yらがデータ偽造に踏み切った理由だった。
この最初の偽造が以降に続く。
02年7月30日、同じメンバーのXとYは、30―B型の形状変更届を提出する際、やはり性能試験データを別の装置のデータにすり替えるという手口で、東京都を騙したのだった。
この後、三井物産は事業の拡大を見込み、DPF部門を本体から切り離し、Yを副社長として事実上の責任者とし、100%子会社のピュアースを02年9月、東京都千代田区の三井物産本社近くに設立する。以後、DPFの研究開発、試験、製造、メンテナンスなどは、ピュアースが行うことになる。
三度目の偽造が行われたのは、03年1月16日から18日にかけて実施された長崎県での都職員立ち会いの性能確認試験においてである。
この試験では、ディーゼルエンジンから排出される排ガス中のPMの重さを計測する過程があったが、試験に赴いたYが、PMを計測する係であったピュアース社員Dに指示、30―B型の性能が、東京都の規制基準である60%以上のPM減少率が有るように装った。
(後略)