記事(一部抜粋):2005年2月掲載

政 治

「無党派知事」堂本暁子の変節

自民にすり寄り、公約を反故にして再選目指す

 政党の推薦を受けない堂本暁子・前参院議員(当時68歳)が、自民、民主など主要政党の推薦候補を破り、千葉県知事に初当選してから間もなく4年になる。「無党派の旗手」ともてはやされた堂本知事だが、就任後は自民党と協調し、公約を次々に反故にしてきた。3月に迫った知事選を前に、堂本知事誕生の原動力だった無党派市民の多くは失望と怒りを隠さない。
 2001年3月の知事選で堂本氏を担ぎ出したのは、様々な市民団体や生協組織、無所属の県・市議らでつくる「21世紀の千葉を創る県民の会」(県民の会)だった。前年の10月に長野県で田中康夫知事が、また11月には栃木県で福田昭夫知事がいずれも無党派層の支持を得て当選していた。「千葉でも政党主導でなく、県民の手で候補者を選び出そう」と一部の市民が言い出し、何人かに当たった末、白羽の矢を立てたのが堂本氏だった。
「環境派」「市民派」「改革派」を名乗る堂本氏は、党利党略で動く政治に飽き飽きしていた無党派層にはきわめて新鮮に映った。立候補声明は、5期20年続いた沼田武・県政の放漫財政や腐敗を一掃してくれるとの期待を生んだ。
「いまこそ『金権ちば』を返上し、既成政党と決別する時ではないでしょうか。私はこれまでの経験と実績のすべてを、祖父母の出身地である千葉県で生かしたいと強く思い、出馬を決心しました。特に、環境の視点から公共事業はもちろんのこと、あらゆる政策を見直し、女性の感性で、保育や福祉政策を充実させたいと考えています」
 県民の会は「カンパとボランティアの選挙」を打ち出し、候補を勝手に応援する「勝手連」は230もできた。インターネットで支援者を募り、集まった人はチラシまき、知人への声かけ、事務所の電話番などを担当した。漁村のおばあさんから茶髪の学生まで、幅広い人たちの努力が49万票に結実した。
「無党派の灯が千葉にもともった」「知事選で無党派革命が起きている」などとマスコミは大騒ぎだった。
 が、多くの支援者にとって期待が失望に変わるのに時間はかからなかった。堂本知事が就任直後から、県議会で多数を占める自民党会派にすり寄る姿勢を明らかにしたからだ。
 まず沼田前知事の側近とされる白戸章雄総務部長を副知事に起用、沼田側近グループが人事を仕切ることになった。これには改革を志していた県職員がいたく失望したといわれる。
 議会との関係について堂本知事は「私は長野県の田中知事とは違う。議会とは対立せずに、うまくやっていきたい」と語り、実際、予算編成では自民党の要求をすべて受け入れている。逆に自民党は知事が提出した案件にほとんど賛成している。反対して葬ったのは、男女共同参画条例くらいだ。
 もちろん議会といたずらに対立するのがよいわけではない。しかし、自民党の路線に沿った政策を実施するのであれば、それを公約して立候補すべきだったろう。(後略)

 

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