記事(一部抜粋):2005年1月掲載

政 治

カリスマ知事」田中康夫に吹く逆風

成果」を帳消しにするパフォーマンスと独断的手法

 田中康夫・長野県知事に、地元で厳しい逆風が吹きつけている。特異な言動や貧困な行政能力に失望する県民が急増しているのだ。戦後ずっと続いてきた官僚主導の県政を草の根から変革したい、と1票を投じた人々の間に新たな閉塞感が広がっている。
 タレント作家だった田中氏が「長野を変える みんなで変える」を合言葉に、前の副知事を破って知事に当選したのは、2000年10月のことだ。長野県世論調査協会の県民世論調査によれば、このとき支持率は67.0%だった(「どちらかといえば支持する」を含む)。
 翌年2月に「脱ダム宣言」を発表、新規ダムの建設中止を表明して、県内外に衝撃を与えた。「反田中」勢力が大多数を占める県議会と対立が深まり、議会が不信任案を決議すると、自ら辞職して02年9月の出直し知事選に出馬、圧勝する。このとき支持率は84.7%と最高を記録した。
 60%台を維持していた支持率がはっきりと下がり出したのは04年の初夏からだ。参院選の1カ月前(6月)の調査で53.4%になり、就任4周年の9月には44.6%と、初めて5割を割ってしまった。
 なぜ、これほど支持を失ったのか。9月の世論調査によれば、評価しない主な点として「タレント活動とパフォーマンスが目立つ」「手法が独断、強権的」「理念や政策が看板倒れ、場当たり的」が挙げられている。個別の施策では「住民票の移動」「県職員との信頼関係」「景気てこ入れ・雇用の確保」がワーストスリーだった。
 なかでも「児戯に等しい」と支持者さえうんざりさせたのが、住民票を長野市から県南部の山村、泰阜(やすおか)村に移したことだ。この村は独自の福祉を実行していることで知られている。「政策的に共鳴できる自治体に住民税を払いたい」という気持ちは分かるが、なにしろ村は県庁のある長野市から150キロも離れている。
 住民税は行政サービスを受けている自治体に支払うべきもので、実際に居住しているところを住所にしなければならない。そこで長野市が知事の転出に異議を申し立て、訴訟に発展した。すると知事は長野市内のマンションを引き払い、泰阜村での宿泊を増やした。高速バスなどを利用し、約3時間もかけて県庁に通い出したのだ。
 長野市の異議申し立てに対しては、自ら選任した委員による「住所認定審査委員会」を設置し、「知事の住所地は泰阜村」の結論を出してもらう。一方、長野地裁が泰阜村での選挙人名簿登録を取り消す判決を下すと、控訴し、期日前投票によって参院選の一票は泰阜村で投じた。すったもんだの末、いまは軽井沢町の両親宅に住所を置いている。
 県職員との信頼関係も崩壊した。知事は自分の方針に反対した職員には制裁的な異動を発令し、忠誠を誓う職員や外部から採用した「任期つき幹部職員」を重用する。県庁内の情報を知事に知らせるメールには、「田中様 舎弟1号の○○です」という書き出しのものもあるという。
 とても一緒にやっていけないと、側近たちが去っていく。その1人、企画局長として赴任し、副知事に取り立てられた阿部守一氏も7月、任期を1年以上残して総務省に帰った。いま副知事は空席だ。
 田中知事は委員会づくりが大好きだ。先に挙げた「住所認定審査会」を含め、就任以来30を超える委員会を立ち上げた。知事が人選する委員の多くは、全国的に名の知られた有識者で、知事の後援会に献金している支援者も少なくない。こんな実態を元県幹部は「メディア重視の『お友達』政治」と呼ぶ。(後略)

 

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