民主党代表に再選された岡田克也が、小沢一郎の剛腕に翻弄されている。「気心は知れている。話せば分かる」と岡田は言うが、小沢の岡田嫌いは本物。「岡田では政権はとれない」と周辺に繰り返す小沢と岡田の関係修復は、もはや不可能な段階だ。夏の参院選で自民党を上回る議席を獲得した直後には、政権間近というムードに包まれた民主党。だが小沢VS岡田の戦い拡大で、早くも分裂含みだ。日歯連ヤミ献金事件で窮地の自民党と小泉政権は、「助かった」とほくそ笑む。
「ほかにいないなら、このまま(岡田のまま)でもいいんじゃないか」
代表選告示を10日後に控えた8月20日、東京・九段の料理屋で開いた旧自由党幹部の会合で、小沢は投げやりな口調でそう言った。参院選に勝ち、自民党を危機に陥れた岡田を交代させる理由はない。無理をすれば国民の支持を失う恐れがある。党内にそんな空気が広がっていたころだ。
しかし、小沢の本音が岡田の再選容認ではないことは出席者の誰もが分かっていた。発言の真の意味は、「君らは本当に岡田でいいと思っているのか。このままだと、岡田に民主党を支配されてしまうぞ。しっかりしろ!」という叱咤だった。
小沢は岡田を信用していない。岡田が1990年に衆院選に初当選し、自民党田中派に所属していたころ、幹事長だった小沢にとって岡田は柔順な部下だった。九三年に小沢が自民党を飛び出し新生党をつくったときにもついてきた。しかし97年12月、新進党の解党を独断で決めた党首の小沢に、岡田が「国民への裏切り行為だ」と罵声を投げつけて袂を分かってからは、二人はじっくり話したことすらない関係になった。
それ以来、岡田は野党陣営で反小沢の姿勢をとり続けてきた代表的な1人だ。小沢の持論である「国連決議に基づく多国籍軍への自衛隊参加」に、現行憲法では武力行使を前提とする参加はできないと真っ向から異論を唱えた。小沢の政治手法を「独裁的」と批判もした。今年5月、菅直人が国民年金保険料未納問題で代表を辞任し、幹事長だった岡田が後継代表就任を小沢に要請するため会談したのが、実に七年ぶりの和解だったのだ。
小沢は一度自分を裏切った人間は生涯許さない。そういう性格であることを旧自由党の幹部は知りすぎるほど知っている。今年5月、いったん承諾した代表就任を国民年金未納を理由に断り、岡田にその座を譲ったのが「小沢にとって痛恨」であったことも分かっている。参院選に勝ったからといって自分に逆らってきた岡田の「政権取り」を傍観するようなお人よしの政治家ではないのだ。
だが旧自由党の幹部のほとんどは、小沢が党内の雰囲気を無視して本気で対立候補を擁立し、岡田を代表の座から引きずり降ろす工作を進めていたことまでは知らなかった。小沢が密かに立候補を促していたのは海江田万里だ。8月上旬から、小沢は焦りにも似た気持ちで海江田の決断を待っていたのだ。
小沢には勝算があった。海江田は経済評論家としてのテレビ出演などで知名度が高く、当選四回ながら党都連会長や政調会長を務め経歴もそこそこだ。年齢は岡田よりわずか4つ上の55歳で、ルックスは若く、弁舌でも岡田に引けはとらない。国民からみて新鮮味がある。加えて、小沢にとって魅力的だったのは、民主党内の最大勢力である鳩山由紀夫のグループに所属していることだ。(後略)