記事(一部抜粋):2004年3月掲載

政 治

ついに腹を固めた小沢一郎 

民主党代表選へ出馬、小泉との真っ向勝負へ

(前略)ただ、小沢が代表の座を狙う決意をしたのは、鳩山が接近してきたからという理由だけではない。かつて細川政権を牛耳ったように、菅を裏からコントロールするのは無理と判断したからだ。菅と小沢はともに「自己中心的で批判されるのを嫌う性格」(民主党ベテラン議員)。しかも安全保障や福祉政策などが根本で食い違う。昨年の衆院選挙後から小沢が菅のリーダーシップ不足を指摘し、「菅では政権は獲れない」と言うようになったのは、菅政権ができたとしても実力者として振る舞うことができないと悟ったからだ。
 もともと小沢が自由党を民主党に吸収合併させる決意をしたのは、自民党を政権から引きずり降ろすには二大政党の形をつくる必要があると判断したからだ。そして小沢には、合併後の民主党を支配下に置けるという自信があった。京セラ名誉会長の稲盛和夫の後ろ盾が、その自信の大きな根拠だ。
 2002年秋、代表選に勝った鳩山が小沢との合流を言い出したのは、稲盛の仲介があったからだ。同年暮れに鳩山は人事で失敗して代表の座を降りるが、自ら言い出した形の民主党と自由党の合流を実現させるため、新たに代表に就任した菅と小沢の会合をセットするよう稲盛に要請している。菅が最終的に合流を決断するに至るのは、「稲盛の説得がものをいった」(菅周辺)側面が大きかった。
 小沢にとっての計算違いは、菅は稲盛の言うことは尊重しても、小沢に対してはそれほど尊重の気持ちがなかったことだ。
 稲盛は民主党全体に影響力を行使できる人脈を培っている。02年の代表選では、現国対委員長の野田佳彦、現神奈川県知事の松沢成文、「次の内閣」外務担当の前原誠司の3人に「5億円の資金を出すから」と出馬を促し、結局、野田と前原が出馬した。資金を実際に出したかどうかは不明だが、稲盛のそうした影の動きが民主党内の主導権争いに大きな影響を与えたのは事実だ。
 忘れてならないのは、稲盛にもっとも近いのが小沢で、「一連の稲盛の動きは小沢と連動している」(全国紙政治部デスク)という指摘があることだ。(後略)

 

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