12月の内閣改造・自民党役員人事で、与党最大の実力者である野中広務は後任に古賀誠を指名して幹事長を辞任した。だが、それで野中の力が後退したわけではない。派閥に戻り事務総長として橋本派を掌握した野中と、その野中に忠誠を誓う古賀の連携体制は「これまで以上に強固な支配」(森派幹部)となって与党内に確立しつつある。野中−古賀ラインの権力への執念が政界を牛耳る時代が、しばらく続きそうな気配なのだ。
(中略)
野中は派閥に帰るにあたり、単なる副会長ではなく、派閥を掌握できるポストである事務総長の座を野呂田芳成から奪った。しかも、幹事長の後任には意のままにならぬ村岡兼造の就任を嫌って古賀を指名、強引に森を説き伏せた。幹事長は最大派閥の橋本派からという自民党内の常識にもかかわらず村岡が総務会長に回らざるを得なかったのは、「秋田知事選に出馬する息子への選挙協力という弱み」(森派幹部)を野中が上手に突いたためにほかならない。
「野中がポスト森に想定しているのは橋本」(橋本派幹部)とされる。もしそうなら、取り込んだはずの橋本が野中と連動して森に反旗をひるがえせば、橋本派は一糸乱れず森に退陣を迫る可能性が高い。野中はそれができる立場を最優先で確保したのだ。
(中略)
野中はいざという時のために党内多数派形成の準備をするだけでなく、「反森の起爆剤」も手中に収めた。自らが本部長を務める党の行政改革推進本部に石原伸晃、塩崎恭久、平沢勝栄、渡辺喜美という加藤の反乱に同調した面々を取り込んだのだ。「反森」の声を押さえることも、逆に噴出させることも自在にできる体制を整えたといえる。
ただ、野中−古賀ラインは潜在的な敵もつくった。野中が幹事長就任にあたり「世代交代」をとなえて道連れにしようとした政調会長の亀井だ。(後略)