預金保険機構の債権放棄で、公的資金による民間企業の救済として批判の的となった「そごう」問題は、強引な政治の介入という後味の悪い形ではあるが、民事再生法の適用申請という法的整理で決着した。すでに各方面からの議論が出尽くした観もあるが、経営破綻時に誰がどの順番で責任を負うべきかは、資本主義と法治国家における株式会社の在り方という基本の根源に触れる問題であるだけに、今後、筋の通った再生手続きが進められて行くための方向付けの意味からも、ここで改めて整理しておきたい。
航空測量業界の大手にパスコという会社がある。もともと多角化に熱心だったが、バブル時代に不動産事業に入れ込み過ぎた反動で経営不振を招いた。一九九四年、社長が責任を取って退任、主力銀行の常務が社長に就任し経営の再建に当たった。しかし、バブルの後遺症の影響は大きく結局、同社は九九年になって、社長の引責辞任、七五%の減資、主力銀行による三六〇億円(会社の総借入額の約二分の一にあたる)の債務免除−−この三点セットで債務超過を解消、過去の残債の一掃を図ると共に、新たに第三者割当増資でセコムから六七・四%の出資を受け、セコム傘下で再出発をした。
経営者・株主・大口債権者の責任の明確化という意味では、パスコの処理は責任逃れが横行する風潮のなかでは、資本主義の法的原則に近いものだったといえる。銀行から再建のために派遣された社長が引責辞任したのは、最初から抜本的な対策を打つことなく、時間の経過で損失を拡大させたためで当然だ。重要なのは、パスコが本業では確固たる営業基盤を持っており、重荷を切り離せば十分に再建が可能だったという点だ。もしその基盤がないのであれば、この会社はすこしでも早く清算してしまうことが国民経済の観点からはプラスだということになる。
このケースを「そごう」と比較するとどうか。暴走のあげく経営を破綻させた元凶の水島廣雄会長は辞任をしたが、投げ出したというのが実態で、その後の言動を見ても彼が責任をとったと考える人はいないだろう。主力の日本興業銀行が作成した金融機関の債権放棄を中心とする再建案では、大株主の興銀を含む株主の責任は問われていない。水島氏夫妻が所有する千葉そごうなどグループ会社の株式を無償で譲渡するというが、株が実質的には無価値であることは明らかだから理解に苦しむ。そもそもオーナーでもない水島氏が、グループの中核である上場会社「そごう」の筆頭株主である千葉そごうの五一%もの株主であること自体の経緯も不自然だ。
(後略)