政 治
「危機の森政権」懸命の浮上策
「野中−亀井−青木−村上」ラインの対抗軸は「YKK−綿貫」
故福田赳夫から二二年余ぶりの政権獲得に沸いたのもつかの間、自民党旧清和会(福田派−安倍派−三塚派−森派)の面々の顔色が冴えない。雑誌が報じた森喜朗首相の女性スキャンダルや長男の不祥事の噂に加えて、「神の国」発言が激震となり、衆院解散を前に森政権は短命と囁かれ始めたからだ。
森の首相就任で森派会長となった小泉純一郎らの悲願は、「旧田中派(竹下派−小渕派)支配で歪んだ自民党」の一新。森政権が短命ではどうにもならない。小泉ら旧清和会には、政権維持の条件を懸命に探る四苦八苦にの日々が続いている。
意識不明の状態が続いた小渕恵三前首相が五月一四日に死去し、六月八日に内閣・自民党合同葬という日取りが決まると、「不謹慎ではあるが、これで自民党が衆院線に負けることはない。選挙後の森政権の存続は確定した」という声が永田町で囁かれた。
当初は高かった森の支持率は、五月中旬の各マスコミの世論調査で軒並み下降し、不支持率が支持率を上回った。「原因は雑誌などが報じた森のスキャンダルと、番記者に居丈高に威張る森のイメージ」(全国紙政治部デスク)とされた。しかも、女性スキャンダルは「選挙直前に子供のいる本命が登場する」(同)という噂まで飛んでいた。
小泉ら森派幹部は、せめて番記者との折り合いの悪さを解消しようと、「番記者への一言が何万票を左右する」と再三にわたり森に忠告を繰り返した。だが、森は「駆け出しの記者が、国政の重要問題を歩きながら聞く制度がおかしい」と、制度改革を首相補佐官の町村信孝らに指示。官邸記者クラブに断られるとヘソを曲げ、無愛想を続けた。
そんな折りに小渕が亡くなり、弔い選挙が確定した。六月二日衆院解散、八日に合同葬、一三日公示、二五日投票という日程、しかも投票日は奇しくも小渕の誕生日。小渕が亡くなった一四日、森はちょうど沖縄に居て、テレビカメラに向かって弔意を述べた。選挙戦が始まれば「七月八日から始まる沖縄サミット成功に情熱を燃やしていた小渕さんの執念を実らせる。そのためにも、一票を」という呼びかけになる。それは、国民の大きな同情を呼ぶと計算できた。
ところが、小渕の通夜が東京の青山斎場で営まれた五月一五日の夜、神道議員連盟の三〇周年祝賀あいさつで語った森の一言が情勢を一変させた。不用意に述べた「日本は天皇を中心とした神の国」という言葉に、マスコミや野党が一斉に噛み付いた。「主権在民に反する」「皇国史観であり、首相不適格」というのだ。
翌日、自民党議員の事務所に有力支援者から次々と電話が入った。「森さんと並んだポスターを張るのはやめる。有権者の反発が強くて選挙にならない」。小泉事務所も例外ではなく、支援者を説得する秘書の声を聞くうちに、小泉の表情は深刻になっていった。
(後略)