記事(一部抜粋):2000年5月掲載

連 載

【検証】メディアの新世紀

「全国紙」「部数増」の虚飾

 二一世紀の日本のマスメディアに起きる革命、ないしは大崩壊の姿を、リアルな具体性を重視して検証してきた本連載は、いよいよ今回から「新聞」に入る。
 日本で日々発行されている新聞は一二一紙、総部数で約五四〇〇万部にのぼる。人口が約一億二〇〇〇万人であることを考え合わせると、凄まじい数である。一世帯あたりの部数は、一・一五を超えている。生活水準や意識の格差とは無関係に、どの世帯でも一紙以上は必ず新聞を読んでいることになる。
 新聞はやはり現時点ではまだ、日本のメディアの「本丸」と言うべきである。
 その日本の新聞界の現状は、朝毎読の三大紙と言われた時代はすでにはるか遠く、朝日新聞と読売新聞の二大「スーパーパワー紙」体制となっている。
 文句なしに世界第一位の発行部数に渡辺恒雄社長以下が胸を張る読売は約一〇二〇万部、それには水を空けられた朝日も約八三〇万部という高水準を維持している。
 米国のニューヨークタイムズは約一〇七万部、ワシントンポスト約七〇万部である。これらは地方紙としても、人口一三億に迫る中国で”全国紙”として国民が読むことを強制されているに近い人民日報ですら、公称でも三〇〇万部にとどまっている(中国では最大部数)。
 朝読の部数が、いかに異常なまでに膨らんでいるかが分かる。
 その朝読体制から弾き出された毎日新聞は、一九七七年に倒産の危機に直面し三和銀行の支配とも言うべき支援によってようやく命脈を保った経緯がある。
 その当時に比べれば大阪に新社屋も築き、回復したかにみえるが、実態は戦線を縮小した存続である。それは部数の問題より取材陣のボリュームの痩せ方、それによる取材力の著しい低下に表れている。
 新聞の経営と言えば、すぐに部数だけに目を奪われがちであるが、読者、国民にとっては権力の内部に食い入る、あるいは事件・事故の真相を掴む取材力こそ問題である。

 

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