経 済
市場のサインは「モノ回帰」
「マネー敗戦国」が「モノ」で負けたら目も当てられない
貿易実需の一〇〇倍ものマネーが行き交う金融市場を、誰しもが正常な姿とは思っていないだろう。マネー経済がモノ経済の四五倍もあるという事態がこれからも続いていくと信じていいだろうか。マネーや情報・通信は実体としてのモノと対極にあるため、そこに富の源泉があると信じ込んでいる人々が多すぎる。
「電子マネー」の例に見るように、金融・情報・通信はこれからますます一体化していき、電子決済が一般的になれば現金へのニーズも自然と減少していくであろう。そうすれば、通貨の発行も減少していき今、世界を席捲している過剰流動性も縮小していくと思われる。この過剰流動性が集まる投機的色彩の強い株式市場や通貨市場などは世界市場における優位性が衰え、モノそのものの市場の相対的地位が高まっていくのではないだろうか。
金融や情報・通信は、ある意味では無制限に膨らむ可能性があるが、モノはその産出・生産に限界がある。どう考えても、限界があるところに価値上昇の可能性があるのではないだろうか。
また、IT(情報技術)を駆使する企業、大胆な言い方をすれば「バーチャルな世界」で勝ち残ろうとする企業への過度なる投資への反省も生じてくると思われる。本業の利益はほとんどないのにもかかわらず、バーチャルへの期待感により、株価による企業価値(時価総額)が一兆円も超すなどということは危険極まりないことである。一度、その期待感が裏切られれば株価は急落し、企業価値は何十分の一になってしまうであろう。
これからの五年間は、実体上の価値を持ち、量に限界があるモノへの回帰が強まるであろう。そして今、日本が冷静になって考えるべきことはモノの重要性なのである。
モノへの回帰が本格化する兆しのあるなかで、日本はサウジアラビアでの石油利権を失うという愚を仕出かした。これは時代の流れが読めていない証左だ。金融戦略で米国に負けた「マネー敗戦国」日本が、またモノ戦略で負けるとあっては、日本の将来は本当に危うくなる。
米国は九〇年代、世界経済を牛耳る武器として金融にかなりの「権限」を与えてきた。もちろん米国の国内マネーはドルであるが、そのドルに基軸通貨というパワーを付与して日本など他の諸国を動かしてきたのである。ドルの米国への還流の役割を果たしてきた米国債もドル・パワーの一翼を担ってきた。もしユーロなどの出現により、世界市場をコントロールする武器としてのドルの相対的地位が弱くなれば、米国はパワーの担い手を他に見出すであろう。実際、米国は食料やエネルギーなどの支配権を手の内に握っている。