記事(一部抜粋):2000年4月掲載

経 済

【企業研究】武富士 

世襲への布石、盤石体制に死角はあるのか

 一九九三年六月、一人の若者が武富士に入社し、品川区にある五反田支店に配属された。“岩崎健晃”と名乗る若者は、ここで先輩社員の指導のもと、ティッシュ配りから始まる武富士流・金融道のイロハを学んだ。
“岩崎”はその後、小岩や錦糸町の支店で「下積み」を経験したのち、入社してわずか半年、二三歳の若さで吉祥寺支店の店長に抜擢された。学歴や年令、性別に関わりなく、実績さえあげれば誰もが出世できる武富士にあっても、異例の大抜擢だった。
 岩崎の下積み時代の元上司は「特に優秀な社員とは思わなかった。ただ、普通の新人とは確かにどこか違っていた」と述懐するのだが、この元上司はある時、東京・高井戸にある武富士の研修施設「真正館」を所用で訪れた際に、その「違い」を実感させられることになった。
 真正館は表向きは武富士の研修施設だが、実態は武井保雄会長とその家族が住む邸宅である。ちょっとした小学校が建てられる四八〇〇平方メートルもの敷地に、プールや大浴場まで設えられた建坪一八〇〇平方メートルの豪壮な建築物。元上司は、この「武富士御殿」で、家族とともに寛ぐ岩崎の姿を目のあたりにする。
 実は“岩崎”とは仮の名で、本名は「武井健晃」。武富士のオーナー会長、武井保雄の歴とした次男坊だったのである。
 大名のお世継が身分を隠して市井に紛れ、ある日突然、身分を明かして大活躍ーー時代劇にはよくある話だが、実際、正体を明かした次男坊は、本来の武井姓に戻って吉祥寺支店の店長に赴任し、大活躍したという。
「健晃氏の店長就任と同時に、支店の人員を大幅にに入れ替え、全国から優秀な社員を吉祥寺に終結させた。そのため支店の業績はみるみるうちに上がっていきました」(武富士関係者)
 健晃は実績を認められ、やがて本社勤務を命じられる。その後の出世はトントン拍子。九六年、二六歳で営業統括本部部長、九八年六月には二八歳の若さで取締役秘書室部長に就いた。そして昨年、二九歳で取締役営業統轄本部長兼人事部担当に就任し、営業と人事という企業経営の要諦を託された。保有する自社株は一三二四万株(八・九九%)で、武富士の個人筆頭株主でもある。「今や武井会長に次ぐ事実上のナンバー2」(同)ともいわれ、ポスト武井、お世継の最有力候補と目されている。

 

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