記事(一部抜粋):2000年4月掲載

経 済

「東京三菱」金融界で嫌われる理由

孤高か孤立か、行内活性化が急務

 三和、東海、あさひの都銀三行による統合の情報が報じられていた三月中旬、旧三菱出身の東京三菱銀行幹部は「やはり、合併後遺症がひどかったから」とつぶやいた。
 要は、旧三菱が完全に合併後の主導権を確保しているとはいえ、旧東銀との合併に懲りて、昨年夏以後の金融再編レースに合併によって飛び込むことに踏み切れなかったというのだ。果たして、その合併の相手とはどこか。中堅都銀との三行統合を決意した三和銀行にほかならない。
 実は、東京三菱と三和は昨年秋以降、企画担当役員が会合を繰り返していた。それだけではない。頭取同士の話し合いも持たれていた。第一勧銀、富士、興銀による統合、住友、さくらの合併と続いて、単独の大手銀行は東京三菱、三和だけになっていたのだから、合併を意識した交渉であることはいうまでもなかった。
 ところが、この見合いは結局、破談に終わった。その結果が如実に現われたのが三和、東海、あさひの三行統合だった。「東京三菱と三和ではカルチャーが違いすぎる」(ライバル銀行幹部)といえばそれまでだが、そんな事情に構っていられないのが今回の再編レースのはず。現に、住友、さくらが似たカルチャーなどという評価がアナリストたちから下された話はいまだかつてない。
 むしろ、東京三菱が関東地盤で、三和が関西地盤であることや、東京三菱が大企業取引に強く、三和が中堅・中小企業、個人取引を得意分野とするなど、相互補完という面では、他の再編組が脅威を抱くほど、両銀行の組合せには妙味があった。それにもかかわらず、東京三菱と三和が水面下の交渉を断ち切ったのは今年二月になってからだ。
 それを旧三菱関係者は合併後遺症に原因を求めているが、三和の周辺を調査していたライバル都銀役員の説明によれば、事情は異なる。「三和は、東京三菱と東海で二ルートの交渉を続けていたが、結局、覇権主義的な東京三菱の態度に嫌気がさして東海・あさひ連合を選んだ」。

 

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