「池田正之輔」と聞いて、年配の読者は懐かしさとある種の感慨を覚えるに違いない。旧山形2区選出の自民党代議士。第二次池田内閣で科学技術庁長官を務め、その後の佐藤内閣では入閣こそしなかったものの自称「御意見番」として名を馳せた。
1968年2月の日通事件にも連座、収賄側として6月24日、東京地検の取り調べを受け、翌7月2日に起訴されている。しかもその渦中に、親分の福田赳夫氏(当時は自民党幹事長)とともに井本台吉・検事総長と会食していた事実が明るみになり、政治家と検察首脳の「見えざる癒着構造」を世間に印象づけることにもなった。
自民党古参秘書の一人が言う。
「池田さんは、とくに得意分野というものを持たず、ありとあらゆる分野に口を挟む人だった。分野ごとに秘書を配し、利権に結びつく案件とあれば、その秘書と共に食い込む、そんなことを繰り返していた。ダボハゼ的な性格を持った、当時としては典型的な党人派の政治家だった。Sさんは外交方面を担当する秘書だったと思うが、その際、関係する社団法人もつくったはずだ」
確かに「内外事情研究所」という社団法人がS氏の手によって設立されている。